2017年 01月 30日
(319)比較旅行編(3-8)大国主の命と大天使ミカエル、そして男根崇拝
日本の国土の80%は山で、その70%は森林です。そして、国土の海岸線は3000kmに及び、森と海に囲まれて日本人は生きてきました。農耕をして生きてきたわけですが、「海の幸・山の幸」というように海と山から自然の恵みを受けてきました。豊かな漁場の大本は森林です。森林から流れ出た養分を含む川の水が海や田畑を潤して来ました。こう考えると山というものはありがたく、大きな山は威容があり自然と拝みたくなりますね。日本全国に「富士山」がある理由かと思います。足利にも足利富士はあり、別名浅間山(せんげんやま)で、江戸時代に山伏が祈祷した祠が残っています。そこに、木花咲耶姫(このはなさくやひめ){富士山に祀られている神様}が現れたと
いう伝説もあります。
自然は恵みだけでなく災いももたらします。地震や津波、台風被害、火山の噴火、洪水など日本は災害大国です。自然に対する畏敬の念というものも持たざるを得なかったでしょうね。また、運命として受け入れたり、諸行無常として流したり、潔く前向きな民族です。
学生の頃、下宿の近くの氏神様の神主さんから、「神道は死者をどう葬るかというところから始まりました。」と聞きました。原人の頃から人間は埋葬というのをやっていたそうです。動物だって死んだ仲間からしばらく離れないのがいるそうですから、感情が発達した人間にとって、死者を葬るというのは一大イベントです。死者に対するいたわりの念、感謝の念、祟りを畏れる念、いろいろあると思います。神道では、人は満足して死ぬと希人(まれびと)となって子孫を見守り、悔いを残して死ぬと浮遊霊となって人にとりつき、祟るそうです。いい霊になってもらうためにも古代では古墳をつくり、神社仏閣をたて、祈りの場としてきたわけですね。その祈りの場は自然界と繋がった清浄な場所でなければなりませんでした。鎮守の森とはそういうことだと思います。
一方、キリスト教の教会は、---(続く)
by araeshuzo
| 2017-01-30 17:18
| 旅行記雑感