2017年 12月 25日
(341)この穴を見てください。(15)
「義を見てせざるは勇無きなり」、といいますが、幽谷は義を見て見ぬふりなど、絶対にできない人だったのでしょうね。立原翠軒は大勢順応主義かつ事なかれ主義の師匠でした。彰考館の総裁でありながら水戸学の創始者である黄門様の思想とかはどうでもよく、周りの藩士たちの顔色を窺い、問題が起こらぬようにと気を回すタイプの校長先生だったようです。今でもこういう校長先生たくさんいますね。問題が起こらぬよう新しいこととか全くやりたがらない。生徒のことより自分の保身が第一。教育委員会もそうですから、教育改革など進みませんね。従って、沈滞し優れた人材は育たない。18世紀の江戸時代って、多くの藩が財政難に陥り商人から借りた金を踏み倒したり、侍も僧侶も道徳的に廃れていたようです。今の日本に似ていませんか?政府も地方自治体も赤字財政。お金の製造元である日銀が政府の赤字国債を買い取る。これっておかしくありませんか?一種の借金踏み倒し?ではないかと?文部科学省事務次官がデートクラブに通ってもマスコミは批判せず、「忖度、忖度」とバカな野党と熱血首相の足をすくうことにご執心。
この「ならぬものはならぬ。」というのが会津魂を作ったそうです。今でも会津市では、この掟を簡略化して、「会津っ子宣言」として町ぐるみで子供たちに教えているそうです。いいですね!!この掟は日本全国の子供に普及させるべきですね。そしたら、子供のいじめや自殺もへるのではないでしょうか?戦後、道徳教育が無くなりましたから。文明史的に見ても、道徳が廃れると国は滅びていますね、蛮族の侵入や内乱などにより。どうしても精神弱くなりますから。
江戸時代は初期を除いて戦乱の無い平和な時代でしたが、200年も経つと社会の様々な面で老朽化が出てきたようです。19世紀になると、賢い藩主は財政の再建や道徳の立て直しのために藩校作ったりしています。先ずは人材の育成ですからね。会津藩の日新館などそのいい例でしょう。
この復元された日新館は、なんと民間の会社によって作られ、運営されています。1798年に家老の進言により日新館は5年かけて作られました。資金はなんと呉服商の寄付金だったそうです。教育の無償化のために財界が金を出す今と似ていますね。
(続く)
by araeshuzo
| 2017-12-25 19:08
| 歴史・哲学