百済世界遺産の一つである定林寺址です。

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国宝の五重塔。日本の五重塔とは、ずいぶんイメージ違いますね。

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お堂があって、その中には、

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大日如来(毘盧遮那仏)だそうです。

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長い間、風雨にさらされ、こんなお顔御姿になったそうです。風化を防ぐためのお堂は最近造られたようです。韓国で文化財の保護が盛んになったのは、ここ30年くらいの間です。それまで、余裕がなかったのでしょうね。朝鮮戦争(1950年~1953年)では、南北合わせて300万人の死傷者がでたようですし、その後の軍政、光州事件などの争乱。民主化が進んで落ち行くまでに大変な思いを国民はしてきたようです。しかし、北朝鮮の脅威を考えると、日本のように平和ボケという訳には行かないようです。地方の地下鉄まで防空壕を兼ねて作られています。地下鉄の出入り口には、「避難所」「shelter]と書かれています。長いこと、大きいこと、商店街の多いこと。苦難の歴史と環境が窺えます。

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復元された蓮池でしょう。

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五重塔の両側にあった回廊の址。瓦がずいぶん使われています。

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やはり、泥の文化のようです。

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定林寺博物館にある、古の定林寺の模型です。この様式は、古代日本の寺院のモデルになったそうです。今の日本、定林寺という名前の寺は全国で20余りあります。多くは、鎌倉時代以降の禅寺です。百済の定林寺と関係ありそうなのは、奈良県明日香村の定林寺址。今では、廃寺となり小さなお堂があるだけらしいですが、聖徳太子が造らせたそうです。廃寺となっている定林寺はここを含め2件だけです。百済の定林寺とどう関係があるのか謎ですね。

(続く)


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# by araeshuzo | 2018-06-19 16:52 | 旅行記雑感

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扶余の町を歩いているとビルの1階に剣道場がありました。中からは、子供たちの声が聞こえます。韓国に剣道?武士道?しばらく、剣道場の前を行ったり来たり。「平常心」防具、日本と同じじゃないですか!なぜ?中に入ってみる勇気もなく、立ち去りましたが、道場主に聞いてみたかったですね。

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韓国人の苗字は、韓氏、李氏、金氏など中国人と同じく一文字で表し、その氏名の種類数も日本人のものと比べると圧倒的に少ないです。(日本人の氏名・苗字は実に多様です。)韓国では、同じ苗字の人が多くなるわけですが、同じ韓氏でも出身地によって自分たちのルーツが異なります。そのことをしっかりと認識・自覚しているようです。ですから、このようにして、町中に同郷、同性の「宗親会」とやらがあるのですね。光州でゲストハウスを経営している李(イー)さんは、韓国西部の慶州がルーツの李でした。系図を記した分厚い本を持っていました。

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韓国で一番困ったのは、腹が減った時。店主や従業員の心次第なんですけど、英語も日本語も分からないと私を追い出しました。そんな店が5件ありました。特に大衆的なレストラン。韓国にはメニューは無く、壁に料理の名前と値段が書いてあるだけ。この刺身を出してくれた海鮮料理屋のお姉さん、最初は戸惑いがちでしたが、写真が印刷された風船看板のところに連れて行ってくれ、どれ食べたいのか指さしてという仕草をしました。鮭の刺身を注文すると、一人前なのにこんなにどさっと。これで1200円くらい。日本では、刺身の下に大根を細切りにしたもの(つま)がありますよね。私、刺身の下の白いもの、パリパリするもの食べていると、そのお姉さんが来て「それ食い物じゃない。」という仕草をするんです。よく考えてみるとプラスチックでした。

その店には、

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ワンピースか?

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「鬼殺し」という日本酒知ってますが、他は日本で見たことはない。

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これは、日本でも馴染みの酒ですね。

この店、日本のフィギュアーだらけでした。20年以上前に韓国に来た時は、日本のものを持ち込むのはご法度でした。今は何でもござれ。民主化の成果でしょう。

店を出る時に、「ましった。かむさはむにだ。(おししかったです。ありがとう)」とお姉さんに片言の韓国語で挨拶すると、嬉しそうな顔してくれました。

(続く)







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# by araeshuzo | 2018-06-18 17:54 | 旅行記雑感

これ、水飲み場。

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このあたりでは、水飲み場はみなこんな感じです。大きくて素敵なデザインですね。何を模ったものか?あちこちに見かけるので考えて行ってみると、

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蓮の花ですね。極楽浄土に咲く。池にも蓮の花。

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通りのベンチにも蓮の花です。屋根の垂木の先端の装飾は、日本でしたら三つ葉葵とか桐の紋とか家紋ですけど、博物館で見かけたデザインはこのベンチの紋と同じだったと思います。

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歩道のタイルにも蓮の花。こういう尊いもの踏みつけていいんでしょうかね?百済の仏教文化の影響でしょうね。こうも蓮の花があちこちで使われているのは。

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歩道のタイルにはこんな朱雀も。玄武、青龍、白虎と並んで四神と呼ばれ、東西南北をそれぞれ守る神です。神様を踏んずケル。なんという文化!

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これ、何だか分かりません。魔除けらしいんですけど。オッパイ出てますね。ということは、女。これ、檀君神話に出てくる檀君のお母さんの熊女?
😱、これも神様だ!韓国人、神様を踏んずけて歩いている。

(続く)つづく

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# by araeshuzo | 2018-06-14 17:56 | 旅行記雑感

扶蘇山城の麓に下りると舟渡場がありました。入り口の山城の門とは反対側の錦江に面した断崖の下に下りたわけですから、船に乗らないとまた山登りです。船に乗って向こう岸に渡るのもいいと思い、

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屋形船。贅沢な瓦屋根の。

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一向に対岸に向かう様子はありません。百済の旗が風になびいています。


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しばし、遊覧を楽しみました。見えるのは、扶蘇山城です。山肌の桜が綺麗でした。到着したのは、川の同じ側の船着き場でした。扶蘇山城の西側で町に向かう道路が伸びていました。

もう夕方になっていて、腹減ったなーと町の中心に向かう道を歩いていると、


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こんな所に出くわしました。亀の狛犬か??親亀の上に子亀が乗っています。公立の施設ではないことはすぐに分かりました。光州で国立博物館の後、国立民俗歴史館に行って、昔の韓国の人々の生活の様子を学びましたが、スマホの電池が切れて写真を一枚も撮れませんでした。そこで、恐る恐る入ってみると、


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何じゃ、この庭は!


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トーテンポール。「地下女将軍」「天下男将軍」と彫られています。天と地は、男と女。なるほど!


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機織りや糸を紡いでいる女の人たち。昔の韓国の農村の人達の暮らしを人形を使って展示していました。ガラス張りの部屋です。反射で余計なものも写っています。


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反射で、私も写っています。ゴシャゴシャで分かりにくいですが、畑仕事のようです。


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展示館だか物置だかゴミ捨て場だか分からないこの御宅、実は奥さんと旦那さんがレストランをやっていて、ご主人の趣味が高じてこうなったのではないかと思います。


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こういった甕(かめ)は、今でも使われていますね。キムチ、ナムル(漬物)などを作るのに必要なものです。


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これレストランのテーブルです。木の臼、石うす、その他古民具にたくさん囲まれて、クッパを食べました。


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多分、ここの旦那、変人。奥さん、苦労しているでしょうね!

(続く)






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# by araeshuzo | 2018-06-13 18:38 | 旅行記雑感

山城を登って行くと、

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韓国の王宮とか政庁とかは、こういう小さな建物よくあります。遠くから来た役人の宿舎だったり、接待所だったり。

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贅沢な装飾の建物。これなんのため?

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忠臣の名前と

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親孝行をした人の名前と烈女の名前だけです。これらの板だけで空っぽ。李朝朝鮮時代のものでしょう。この人たちの名前を保存しておくためだけに、この建物を設けておくとは!韓国人の価値観とは?

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さらに、山城を登り、右側に細い道があり、何だろうと思って行ってみると「保国忠霊碑」というのがありました。保国とは何だろうと周囲を巡ってみると、


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これ、祠堂です。ベトナム戦争で犠牲となった韓国人兵士たちの慰霊のためでした。それもこの扶余郡出身の兵士のためです。日本の神社やお寺にも先の大戦や日清日露戦争で亡くなった兵士の慰霊碑ありますが、ここでは祠堂まで作って霊を慰めています。なのにどうして、靖国神社は理解してくれないのでしょうか?


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さらに、山城を登って行くと、いかにも発掘調査済みの場所がありました。


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百済は、660年に唐に滅ぼされましたから、その際、このお寺も焼き払われたのかもしれません。この時代の建物が残っているというものはありません。戦乱の歴史の凄まじさを感じさせます。


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やっと頂上付近に来ました。錦江(白馬江)が見えます。桜がきれいでした。


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「白馬長江」と楼閣の看板にあります。白馬江を眺めるための展望台と見張り台を兼ねているのでしょう。


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楼閣の二階に上がってみると、百済の時代を懐古する漢詩の額がありました。この種の額は10枚くらいありました。趣深い内容でしょ!風情を楽しむ文化人もこの地にはたくさんいるのでしょう。

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天井の梁です。見事な構造と装飾です。竜が天井を支えているのですね。竜骨ならぬ天井骨。李氏朝鮮の時代に作られたものと思われます。


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この楼閣の下には、百済時代の石がありました。百済の時代、ここに建物があったのでしょうか?礎石のように思われます。ここに座って、タバコを吸って、それから、


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山城を少し下ると、「百花亭」という楼閣がありました。山城の奇岩(本当に珍しい形の岩です)の上に建てられた展望楼です。


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登ってみると、これも内部の装飾が綺麗ですね。大きな建物ではなく、人が住むわけでもないのに、屋根瓦をふんだんに使い、それを支える丸太の垂木とその装飾が韓国的ですね。屋根が贅沢。それほど古くはないようです。別の場所からここに移築されたと説明書きにありました。

そして、さらに下ると、


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ここが扶蘇山城のハイライトの場所です。急な崖。


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落花岩と呼ばれ、唐の軍隊に攻め込まれ、敵兵に屈辱を受けたり、強姦されたくないために宮女たちが身を投げた断崖です。まるで花が落ちていくようだったと。下には岩があり地に染まったとか。悲劇の場所ですね。

ソ連兵が満州に侵入し、日本の婦女子に暴行を働いたのは有名な話です。凌辱されまいと逃げてくる途中で自害した女性もたくさんいるとか。サイパンでは万歳岬。女性も名誉を守るためと「葉隠れ」の教えですが、古代の朝鮮半島にも名誉を守るため死を選ぶ女性がいたのですね。戦後の日本ではこういう心を軽んじてきた気がします。誇りを失くした民族は滅びます。


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断崖の下を通る古代の船を模した観光用の渡し船。百済の女性は、桜のように散って行ったのですね。


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そこで見る錦江(白馬江)の眺めは絶景でした。

(続く)








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# by araeshuzo | 2018-06-12 17:43 | 旅行記雑感

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扶蘇山城の見取り図です。川は錦江(白馬江)で、白村江に続きます。

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扶蘇山城の麓の写真です。官北里遺跡(クァンブンニュジョク)と呼ばれ、1988年から発掘調査が行われ、道路跡、建物跡などが発見されました。王宮?、政府庁舎?があったのかもしれません。

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建物の後です。

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道路とその脇には建物跡があります。

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池の址です。王宮があったんでしょうかね?

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扶蘇山城門(入場券売り場)に続く道だったかな?

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扶蘇山城門、その隣は券売所。

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この近代的かつ伝統的建築物は、旧扶余国立博物館です。今は、文化財の研究所になっています。新博物館は別のところにあります。

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立派でしょ。中には入れませんでした。この屋根、韓国の伝統的な様式と日本の神社建築様式が組み合わさっているそうです。韓国の有名な建築家が設計したものだそうです。無理からぬことかなと思います。13世紀、高麗の時代に書かれた檀君神話はツングース系諸族(中国の東北地方、かつての満州、黒竜江あたり)の熊祖神話と類似しています。また、東アジア、モンゴル・アルタイ山脈に勃興した匈奴、鮮卑族、突厥(トルコ人の先祖と言われます)は、アニミズムやシャーマニズムです。

今の韓国は、キリスト教会が目立ちますが(国民の30%~40%)、仏教寺院も町中に

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こんな形で息づいております。南無阿弥陀仏はナムアミダーブルです。シャーマニズムも健在で、祈祷師に頼る人もおります。変な感じしますが、よく考えてみると神道もアニミズムでありシャーマニズムですよね!神主は祈祷師で、天皇陛下は「国安かれ、民安かれ」と祈るのが本来の仕事です。こんな風に、朝鮮半島と東アジアの文化って、繋がっているのですね。

ツングースには、熊を崇める信仰があったそうです。公州(熊津)の伝説で人間の女に化けた熊と結婚して終いには逃げた男の話を公州(熊津)編でしましたが、檀君神話の檀君も熊から生まれています。天帝桓因(かんいん)の子、桓雄(かんゆう)は、神木の下に降臨し、人間となった熊の女と結婚しました。そして、生まれたのが檀君で都を開き1500年の間、統治したとのことです。13世紀、高麗の時代にこの神話が書かれた背景には、当時、モンゴルの侵入があり、民衆の間に義兵として立ち上がる者たちが民族主義的精神を必要としていたからでしょう。

民族が滅びることなく、強く生き残るには精神的支柱が必要なのでしょう。日本神話を廃れさせてはいけないと思います。後1年足らずで今上天皇が退位し、新天皇が即位しますが、新元号の日本、どんな時代が待っているのでしょう。世界最古の王室、唯一の皇室、これ、奇跡と思いますが、雅子さんは皇室に馴染めず心が不調とか。ハーバードに留学するより、ツングースの山の中でシャーマンの修業をした女か熊の女が新皇后にふさわしかったのでは?

(続く)









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# by araeshuzo | 2018-06-10 16:56 | 旅行記雑感

公州市から市外バスで1時間のところに百済第三の都、扶余があります。韓国の西部に位置します。百済時代は泗沘(しび・サビ)と呼ばれました。

百済の始祖は朱蒙でなんと高句麗の始祖でもあります。朱蒙は、韓ドラにもなっていますね。この方も卵から生まれたという伝説があります。東明王と呼ばれ紀元前37年から前19年の王様です。あの広開土王(好太王)はその後の19代の王で、紀元後391から412年の王様です。日本で生まれ育った東城王(後479年から501年)は、朱蒙から数えて24代の百済の王で、武寧王(501-523)は、25代の百済の王です。そのあとの26代聖王(523-554)の時、公州(熊津)から扶余(泗沘・サビ)に(538年)遷都しました。積極的外交政策を行い、中央集権的国家体制を整えるためだったとのことです。高句麗、新羅、唐、加羅に囲まれ大変だったのでしょうね。

しかし、31代の義慈王(641-661)の時、新羅と連合した唐によって660年に滅ぼされます。あの有名な白村江は、扶余を流れる白馬江(錦江)の河口にあたります。663年の日本軍27000人を動員した白村江の戦いは、百済復興軍(韓国では後百済)の要請によるものです。170艭余りの唐の水軍と2日間対戦しましたが、敗れました(天智天皇3年)この後、百済から難民、亡命者が大挙して日本に押し寄せたそうです。関西地方には「百済」という地名がやたらと多く、渡来人が多く住み着いた名残をとどめています。

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扶余郡のロータリーにある聖王の銅像です。交通事情で近づいて撮れませんでした。おわかりでしょうか?扶余郡は百済の最後の都だったとは言え、今は人口70000人の小さな町です。公州は11万人ですから半分ですね。

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公州(熊津)は、熊の塑像が電柱にありましたが、扶余(泗沘・サビ)では、朱雀です。ゆるキャラは見当たりませんでした。

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百済世界遺産の一部である扶蘇山城(プソサンソン)に行く途中で見つけました。空地の一角になんと練炭殻が捨てられていました。韓国では、こういうごみ投棄は珍しくありません。練炭は50年前、日本でもよく使われていましたが、

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韓国では、今でも地方のレストランでは、こういう練炭ストーブを使っています。エアコンあるんですけど、冷房のためにのみ使っているのでしょうかね?

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こういった貧しい家も珍しくありません。立派な国立博物館が地方都市にどんどんできる一方、リアカーで段ボール箱を集めているおばさん、おばあさんをしばしば目にし、格差を感じました。

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扶蘇山城入り口の前にあったパンクした荷車。何に使うのか?

(続く)







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# by araeshuzo | 2018-06-09 02:36 | 旅行記雑感

公州国立博物館から歩いてすぐのところに公州韓屋マウルという公州市が経営する宿泊施設がありました。伝統的な韓国式建物が57あります。今は高層アパートに住む人が韓国では多いですから観光用ですね。

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韓ドラに出て来そうな建物ですね。韓国の伝統的な家には玄関が無いのに驚きました。縁側から扉を開いて中に入ります。これはお金持ちの家ですね。屋根瓦が使われています。

日本は木の文化、中国は石の文化、そして韓国は泥の文化といわれますが、泥の文化とは粘土を使ったもの、つまり焼き物が多いということだと思います。古代から土器が発達し、やがて美しい青磁器白磁器へと発展します。また、建築物にレンガや瓦がふんだんに使われています。王宮の建物などは、日本の建築物と比較すると瓦が贅沢なくらい使われています。日本人からすると木造部分と屋根瓦の部分がアンバランスに見えます。日本の伝統的建物は床下が通気よく高床式なっていますが、韓国は床下暖房つまりオンドルのためレンガで密閉されています。

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でも、庶民はこのような藁屋根に住んでいたそうです。瓦に比べ傷みやすいのでしばしば交換しなければなりませんでした。

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オンドルの煙突です。

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レンガがたくさん使われていますね。

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ここで火を焚き、煙や熱を床下に送る構造です。台所のかまどから煙や熱を取る家もあったそうです。

ところで、この宿泊施設、エアコンが備わっていました。変ですよね。

でも、床下暖房・オンドルの文化は続いているようで、私が泊まったゲストハウスは床下暖房でした。今は、おそらくガスを使っていると思います。スイッチ一つで温度を調節できるのですから。

(続く)

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# by araeshuzo | 2018-06-04 17:06 | 旅行記雑感

熊津(公州・コンジュ)のゆるキャラの熊はこんな感じです。お土産店の傍にもあります。男に逃げられ、悲しんで子供と一緒に川に身投げして祟りを起こし、祠に祭られた女熊がこんなにかわいいゆるキャラになってしまうなんて驚きですね。逃げた男は何が嫌だったのでしょう。食い物は熊の奥さんが採ってきて旦那に食わせる。グータラ男なら天国ですが、普通の男にとっては地獄ですね。おまけに家に閉じ込められて。

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国立広州博物館の前にいた焼き鳥屋さんです。日本でも国立東京博物館の構内で物売りしている人いました。この焼き鳥一本300円。日本のと比べると高いですね。その代わり太くて長いです。

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ヨーロッパではありません。公州市の通りです。武寧王陵の内部の形を模して造られた町の飾り物ですね。

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国立公州博物館は百済を誇っています。「高句麗、新羅、百済の三か国の内、百済は最強で文化レベルが最高であったと。」古代、この三ヶ国は年がら年中戦争をやってました。そのため、強くなる努力をしてきました。

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土器と鉄器が最先端の技術として必要とされました。

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いつの時代でも生産力と軍事力の増強と心の支えが社会や国家を進展させていくのですね。

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黄金の仏像。発掘品と思われます。古代からずっと続く寺院は無いようです。うち続く戦禍で焼失したりして寺院跡はありますが。中国と似ていますね。日本の場合、戦国時代や火事で焼失した寺院ありますが、飛鳥、奈良、京都では仏像たちを守り通し、存続してきました。半島や大陸に比べると日本は島国で海に囲まれていますから蛮族の侵入が難しく、平和に恵まれてきたのでしょうね。

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百済人の心を支えてきた石仏たち。
昔の韓国の村では、村の入り口に魔除けのためにトーテンポールが置かれ、木には注連縄のようなものが巻かれていました。古代の石仏の顔はなにやら、韓国土着の神様の顔に似ているような気がします。日本の明日香村の猿石も渡来人としてやってきた百済人が造ったものかもしれません。この点、今後の探求が楽しみです。

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巨大な盃ではありません。大きな石を加工して作った百済の水槽です。これで、洗い物をしたとか。直径2メートル、深さ50センチはありますね。石の加工技術もたいしたものです。

(続く)

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# by araeshuzo | 2018-06-03 22:57 | 旅行記雑感

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公山城を降りる途中にあった石の塚です。日本にもありますね。賽の河原で「一つ積んでは、母のため、一つ積んでは、父のため」こんな歌があったと思います。これって、精神文化ですよね。

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公州市の電柱の基礎部分です。熊の塑像があります。何故?公州市は百済の時代、熊津(ウンジン)と呼ばれました。熊津が百済の第二の都だったのです。

この地に伝わる伝説によると、昔、木こりが仕事に夢中になって、日が暮れ、困っていたところ、女が現れ一夜の宿を貸します。やがて、二人は一緒に暮らすようになり、子供も生まれます。女は毎日食べ物を採りに出かけますが、出かけるとき、男を監禁して出かけます。実は、この女は熊だったのです。年月が経ち、もう監禁しなくても大丈夫だろうと女は、家の戸を閉めずに出かけました。男はそのすきに一目散に逃げてしまいました。女は大声で呼びましたが、男は帰って来ない。女は悲しみに暮れ、子供を連れて近くの川(錦江)に身を投げ死んでしまったとのことです。以後、河で悪いことが続き、人々は熊の像を作って祭ったそうです。

なんだか、日本にもありそうな話ですね。祟りを恐れる文化。共通しています。日本には、オオカミ神社、ネコ神社ありますね。昔話、伝説って実に面白いと思います。物事を合理的に考えるあまり、現代人は自分の首を絞めて滅んでいくのではないかと危惧します。それにしても、雌熊が男を監禁するとは!オス熊が女を監禁するなら分かるのですが。?自然の法則に逆らって、反対のことするとろくなことは無いということを示唆しているのでしょうか?日本神話の伊邪那岐、伊邪那美の柱を巡るときの話もありますしね!

公州市(熊津)は百済の古都の象徴として、くまモンみたいな熊のゆるキャラを開発、町のいたるところ熊のぬいぐるみ、看板、饅頭があります。でも、古代からの伝説とはいえ、祠に祭った熊をお土産饅頭にしてしまうとは!祟りがあるのでは?日本だったら?

(続く)

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# by araeshuzo | 2018-06-03 00:06 | 旅行記雑感