中国の神仏習合は、神仏混淆といったほうが、よさそうです。

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上記、2枚の写真は、中国のお寺です。日本文化研究所のブログから引用させていただいております。こちらの研究所のブログによると、日本には仏教と道教は同時に伝わったとあり、疑問に思い調べてみました。552年、百済から仏教伝わりましたが、その時の僧侶は道教の素養ももっており、一緒に日本に道教も伝えてしまったようです。

道教は、中国固有の民族宗教・土着の宗教です。荘子を開祖としますが、年代は不祥です。儒教とともに諸子百家の一つです。紀元前500年頃は、ギリシャとともに思想が盛んだったのですね。仏教は紀元後1世紀に中国に伝わり、シルクロードを渡ってきた色の黒い坊さんも中国人の病気を治したりして、徐々に信頼を得、六朝時代、道教や儒教と拮抗、影響しあいながら中国社会に浸透していったようです。中国大陸においては、宗教哲学は、神仏習合というより、混淆という言葉により存在・変遷・発展をしていったようです。

先に話したハルビン出身の中華料理屋の奥さんによると、「中国では、道教と仏教は別の寺」と言っています。はてさて?

(続く)



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# by araeshuzo | 2018-11-08 21:57 | 旅行記雑感

東アジアの神仏習合編ですから、中国の神仏習合についてですが、まだ、中国には行ってないので調べたことを後に簡単に申し述べます。旧満州、現在の中国東北部の北、黒竜江省は、ツングース族の地でシャーマニズムの盛んな地ということなので、是非とも行ってみたいです。韓国の巫俗信仰との関連も知りたいですし。しかし、黒竜江省のハルビンからきた中国人(足利には旧満州から来た人が留学生でも、中華料理店でもたくさんいます)に聞いたら、知らない、見たことない、仏教のお寺は政府が認めているが、新興宗教は禁止されているとのことでした。新興宗教でなく、太古から続く宗教を知りたいのですが、文化大革命で抹殺されたのかもしれません。この方の話ですと、最近の中国のお寺の坊さんは裕福だそうです。事業で金儲けたい人がたくさんお布施を出すからだそうです。僧侶は結婚が許されてませんが、金があるから女作っているそうです。韓国のシャーマン・巫堂と変わんないじゃないですかね?

韓国の巫俗信仰の巫堂(シャーマン)の中には、人間国宝ばかりか文化財に指定されている方たちもおります。韓国固有の文化として。ですが、巫俗信仰・鬼神信仰は、呼称として韓国には存在せず、これらの言葉は、韓国のシャーマニズムを指すために造語・訳語(日本語には存在しません)として日本人が考えた言葉のようです。19世紀末の段階では、「鬼神のせいだ。」というくらいで、まとまった宗教概念として存在もしませんでした。現在でも日本の神道のように組織・体系だったものもなく、神社のような社もなく、「クッ」と呼ばれる巫祭もテントを張ったり、戸外の特定の場所や既存の建物を堂として儀式を行っています。

 何やらぼんやりとした形でシャーマニズム信仰が厳然として韓国には存在し、強い伝統文化として根を張り、キリスト教という外国伝来の宗教にも影響を与え、神・神習合と呼んでもいいような信仰形態を形成してしまったようです。

(続く)



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# by araeshuzo | 2018-10-06 21:34 | 旅行記雑感

さて、李朝朝鮮末期の社会の様子や韓国巫堂・鬼神信仰の詳細は次回のソウル編でお話しすることにして、何故韓国でキリスト教徒が30%にまで増えたかについて申し述べるとしましょう。

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これは、公州の公山城を下りてくる途中にあった石塚です。最初、仏教に関わるものかなと思いましたが、韓国のシャーマニズム、巫俗信仰・鬼神信仰を調べていくうちに、これはどうも巫俗信仰ではないかと思えてきました。真ん中の突き出た石は、男根にも見えますね。男根崇拝は日本にもカンボジアにも見られます。日本では、特に、北関東から東北地方に金精神社・金精信仰がたくさん見られます。

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こちらは、私が住んでいる足利の水使神社(みずつ)の宝物堂に収められている木製の男根です。ここの神様は女性で、昔から子宝を願う女性が参拝し、男根を奉納してきたそうです。

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このような赤裸々な生々しいものも奉納されています。切なる願いが表れていますね。いつの時代でもどこの国でも人が願うことには変わりはないですね。

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小さな神社ですが、昔は「正一位」を与えられた権現様だったんですね。室町時代頃、子供を救うために淵に飛び込んで亡くなった女性の鎮魂のために建立された神社です。隣の町の赤見の弁天様の娘だという伝説もあります。この扁額は神仏習合がなされていた江戸時代のものでしょう。大権現ですから。

韓国の巫俗信仰と日本の神社には、似ている点がたくさんあります。詳しくは、次回の「ソウル編」でお話しします。

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光州のキリスト教会です。

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その教会のすぐ隣の家や商店ですが、この辺に巫堂(シャーマン・祈祷師)の家を表す赤と白の三角系の旗をよく見かけました。実は、キリスト教会も巫堂の家も韓国では、大して変わらないものなのです。これは、某韓国人の学者が言っています。驚きですね!

李朝朝鮮の時代には、キリスト教は禁じられていました。儒教は国教であっても、倫理道徳ばかり説いていて、安らかな救いをもたらしたり、不安から解放してくれるというものではありませんでした。また、民衆にとって儒教は遠いものだったでしょう。常人(農・商・工)や賤民は学ぶことを禁じられていたからです。四書五経など読めるわけもなく、両班でもただ暗記しているだけで中身など分からない、建前と形式だけで、身分を利用して腐敗の海で暮らしていたわけです。賤民や白丁(動物を屠殺する仕事に付かされた最下級の人)は、ハングル文字でさえ読めなかったかもしれません。

中人(医官、技術者)は学ぶこと許されましたが、書堂(儒学を教える塾)に入って学ぶにはお金がかかり、両班の子供だけが建前と形式だけの儒教を10年もかかって暗記、空っぽの頭で威張り散らしていたのでしょう。日本でも、幕末になるとイデオロギー的な朱子学に反発、実学を求めるものが出てきました。高杉晋作は藩校明倫館で腐儒(腐れ儒学者)に嫌気がさして吉田松陰の松下村塾で学びます。14,5歳でようやく塾に行けるようになった福沢諭吉は4~5軒塾を変え、終いには白石照山という漢学の恩師に巡り合いますが、猛烈に漢学を勉強してもその限界性を感じ、19歳で長崎に留学、その後全財産を処分して、大阪の緒方洪庵の適塾で蘭学を学びます。大隈重信は「葉隠れ」の佐賀の藩校で学びましたが、嫌気がさして、登校拒否、そうとうな問題児だったようです。

このように、19世紀になると空理空論化した漢学・儒学は、新たな時代を切り開くのには無理な不要な学問となっていたようです。

以前にも申し上げましたが、東学党の乱(1984年甲午農民戦争)、それ以前にも甲申戦争、軍人の反乱など李朝朝鮮末期はそうとう乱れた状況でした。当然、民衆は生活が苦しく、不満と不安でいっぱいでしたでしょう。病気になると、どんな貧しい人でも着ているものを売って巫堂(ふどう)・祈祷師にお金を渡し、病気を治してくれるよう頼んだそうです。貧しい人たちは、巫堂からもお金を吸い上げられていたわけです。李朝朝鮮政府は、仏教・キリスト教を弾圧しても、巫俗信仰・鬼神信仰は弾圧しませんでした。王宮の中にも巫俗信仰に頼る人達がいたからです。病やよくないことは悪霊のせいだと考えていたからです。ですから、悪霊祓いが必要でした。巫堂の中でも盲人の者をペンスといい、ペンスの組合の幹部には準官位が与えられて優遇されておりました。このように、李朝朝鮮時代は、救いを巫俗信仰・鬼神信仰に頼らざるを得なかったのです。

こんな中、キリスト教が本格的に伝来する時代がやってきます。もちろん禁教なのですが。

18世紀終わり頃、赴京使一行(北京へ使者として向かう一団)に李承薫というものが付いていき、北京でグラモンという神父から洗礼を受け、1784年に帰国します。これが本格的伝来の第一歩です。でも、禁教です。1882年に李元賛が、満州にいる宣教師に教えてもらい新約聖書をハングル語に翻訳し、朝鮮に広めます。つまり、朝鮮に外国人宣教師が入る前に、朝鮮人自身の手でキリスト教は布教されていたのです。1896年にキリスト教は解禁となります。これには、日本やヨーロッパなど外国勢力の圧力があったでしょう。この頃には、外国人が学校を作ったり、軍隊を調練したり、病院を建てたり国政改革にも手を貸していましたから。

でも、遠いヨーロッパの宗教を朝鮮人たちはどう理解し、受け入れて行ったのでしょか?

鬼神信仰の中には、日本の八百万の神とまでいかなくても1万とも2万ともいう神様がいます。つまり、多神教です。しかし、朝鮮には、「ハンニム」という星雲の最高神で偉大な神がおりました。唯一神です。朝鮮人は多神教でありながら、自分を救ってくれる唯一神を求めていたのでしょう。檀君神話の檀君のお父さんは民衆を救うために天から降臨して、熊の女性と結婚し檀君が生まれました。もともと、民衆を救う神を求めていたのでしょう。

宣教師たちは、ここに目を付けました。キリスト教も唯一絶対神で、信ずれば魂は救われ天国に行けるわけですから、朝鮮人たちに理解され、受け入れられました。ありがたがったわけです。徐々に信者の数は増え、特に戦後、日本人たちが出て行って、アメリカがやってくるとアメリカの豊かさへの憧れもあって、急速に増えたそうです。仏教も解禁され、山から下りてくる僧侶もいました。昔は、王宮に僧侶が入ると殺されたそうです。

実質、キリスト教と巫俗信仰・鬼神信仰が何故同じかということですが、
困った時に、巫堂を頼りに生きてきた人たちですから、現生利益なのです。それで、教会の中で願い事をするわけです。それも、巫堂の家のようにけたたましく、うるさく。ある韓国人が目撃したことですが、医者に癌で見放された信者のために、仲間たちが祈り続けたり、体をさすったり、やることが巫堂と同じなのだそうです。

長い歴史の中で出来上がった習性は、簡単には変わらないですね。

これも、一種の習合なのでしょうかね???

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扶余のお寺です。鉄筋コンクリートのビルのなかです。困った時は、お寺のお坊さんに頼る人もいます。

(続く)






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# by araeshuzo | 2018-10-02 10:43 | 旅行記雑感

東学党とは、李朝朝鮮末期の新興宗教です。キリスト教の西学に対しての言葉で、仏教、道教、儒教を混ぜた教えです。修業、修業をすれば、天に生まれ変われるという信仰で、ヨーロッパや日本などの外国勢力を嫌いました。何だかオーム真理教のようなカルトだったかもしれませんね。1894年5月、東学党の乱(甲午農民戦争)引き起こしました。この頃の朝鮮は、それはそれは、ひどいもので正に韓ドラそのものです。

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上記の写真は、無残で見るに堪えないものですが、甲午農民戦争で農民20万人を蜂起させた東学党の幹部・全ホウ準(ぜんほうじゅん)のさらし首です。映像が語る「日韓併合」史・労働経済社刊からの引用写真ですが、日韓併合が行われる前の処刑で(1895年4月24日)、まるで日本人がやったみたいな編集ですが、在朝鮮日本公使の井上 馨が全ホウジュンの人格に感心し、死刑にしないように朝鮮政府に言っておいたのに、井上が日本に帰国している隙に殺しちゃいました。

何故このような朝鮮史上最大の農民反乱が起きたのでしょう?それは、当時の朝鮮社会、李朝政府が腐っていたからです。そしたら、農民は苦しいでしょう。軍人でさえ砂の入った米を配給され、反乱を起こすくらいですから。

イザベラ・バードというイギリス人女性旅行家が、1894年から3年間朝鮮を4度旅行し、「朝鮮紀行」という分厚い本を書いています。(日本も旅行し、日本旅行記を書いています。)
この本は緻密な観察と詳細な情報収集に元ずいて書かれており、学術的にも優れたもので当時の朝鮮社会の様子、政治や経済等よく分かります。100年以上も前に書かれたものとは、思えないくらい生き生きと描かれています。1894年に(日清戦争の年)に朝鮮に来たときは、62歳でした。この年齢で朝鮮中旅行し、名著を書き上げたことに敬服します。この本の中の一節を引用しますと、

講談社学術文庫「朝鮮紀行」474ページ
「朝鮮国内は全土が官僚主義に色濃く染まっている。官僚主義の悪弊がおびただしくはびこっているばかりでなく、政府の機構全体が悪習そのもの、底も無ければ汀(みぎわ・川や湖の陸との境、水辺)もない腐敗の海、略奪の機関で、あらゆる勤勉の芽という芽をつぶしてしまう。職位や賞罰は商品同様に売買され、政府が急速に衰退しても、被支配者を食い物にする権利だけは存続するのである。

この時期の両班の数は人口構成の5割でした。7割という説もあります。生産に携わらない階級の方が多いなんて異常です。これも両班の地位や収税吏の地位を金で買い、略奪される側から略奪する側に回った人が多いからでしょう。収税吏の権利を買った人は、自分の家の近くの川で向こう岸に渡ろうとした人がいたら、税を徴収するとか。農民はどんなに豊作でも喜ばない。年貢としてその分持っていかれるだけですから。やる気なくなるわけです。国も国力衰え、弱小国家になったわけです。

これが、儒教を国教とした李朝朝鮮なのでした。

(続く)





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# by araeshuzo | 2018-09-16 16:59 | 旅行記雑感

韓国の人口は、およそ4500万人ですから、その30%というと1500万人がクリスチャンということになります。日本は100万人ほどです。日本人は、自分の宗教がなんであるか分からないのが特色です。ほとんどの人は、無宗教という自覚でしょう。にもかかわらず、お正月は、明治神宮、成田山、川崎大師など数百万の参拝客が訪れます。まるで、メッカの大巡礼みたいです。その他、七五三、生まれた子供のお宮参り、近くの神社の春夏の例祭、夏祭り(神輿を担いでの祭りは、各地でスゴイ熱気)、盆踊りや先祖の墓参り(帰省ラッシュというのもあります。)信仰心というのは、あるのでしょうね。人形供養、針供養、茶筅供養、鉛筆供養、ものにまで、葬式を挙げます。私の母は、庭の木を伐採するとき、神主さんを呼んでお祓いをしてもらい、伐採後「ご苦労様でした。」と言いました。家や建物建てる時は、神主さんに地鎮祭をやってもらいます。よく考えると、かなりの数えるとキリがないくらい宗教行事やってますね。ある韓国の研究者は、京都で鉛筆供養を見て、ものにも霊を感じる日本人は、すさまじいと言ってました。

長いこと、私のところで働いてくれたアメリカ人は、「日本人であることが一つの宗教だ。」と言ってました。賢明な観察だと思います。

「古代朝鮮と日本の神道」なんて本が書かれるくらいですから、大昔、共通性はあったのでしょうね。私も韓国旅行中にその痕跡をいくつか見ました。写真を取り損ねて、アップできないのが残念です。高麗時代、李氏朝鮮あたりから日本と朝鮮半島の宗教は、異質な歴史を辿ったのではないかと私は推測します。

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掲載するのに、気が引けて申し訳ないのですが、韓国には今でもこのようなみすぼらしいレストランがたくさんあります。貧しい集落もありましたが、さすがに気が引けて写真とれませんでした。今でも、犬を食べる貧しい人がいるそうです。昔は自分の家の番犬を春になると食べていたそうです。それが当たり前だったそうです。


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東学党の指導者たちです。1894年、農民を駆り立て大暴動を起こし、

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日清戦争の原因を作り、写真の女性、閔妃(びんひ)は日本人公使館員によって暗殺されることになるわけです。クリスチャン30%を説明するには、当時の時代をまず知らなければなりません。

上記写真は、「映像が語る韓国併合・労働経済社刊」より。この写真集在日韓国人の編集で、極めて反日的な内容になっています。

(続く)

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# by araeshuzo | 2018-09-10 02:07 | 旅行記雑感


下記は、現在の韓国のキリスト教会です。

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こういう立派なキリスト教会が、韓国の町のいたるところに見られます。中には、ビルの一室を借りている教会もありますが。日本にも、そんな教会ありますね。韓国人のキリスト教徒は人口の30%とも言われます。日本のキリスト教徒の比率は1%です。何故、同じ東アジアにあって、このような違いが?欧米のキリスト教国の植民地ではなかったにもかかわらず。理由は、これらの写真が示しています。

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秀吉の文禄の役により(1592年)朝鮮李王朝の漢城(ソウル)の景福宮は、焼かれました。1870年代になってこのように復旧されました。しかし、文禄の役の時、小西行長や加藤清正が景福宮を攻め落とす前に、ソウルの庶民・人民により景福宮は、焼かれ略奪に遭ってました。王様は逃げていましたし。日本で、このようなこと考えられますでしょうか?文禄の役というより、文禄の朝鮮反乱暴動といったほうが適切かもしれません。

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御見苦しいですが、日韓併合前に撮られたと思われる景福宮の城門前の様子です。

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上記は、明治時代に撮られたと思われる景福宮の城門とその門前の様子です。1987年、労働新聞社刊、映像が語る「日韓併合」史、辛 基秀編著からの引用です。このページのモノクロ写真は。

日本の歴史において、城門の前にこのようなみすぼらしい家がならんでいること考えられますか?まして、江戸城や皇居の門前に。江戸時代は、城の周りには、大名屋敷があり、明治になってからは、霞が関など官庁街となりました。

この時空を超えての2種類の写真が30%と1%の違いを表しています。そして、仏教が30%、残りが巫俗信仰(鬼神信仰という訳もあります)およびその他という宗教人口区分の理由を示しています。

(続く)




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# by araeshuzo | 2018-09-08 01:04 | 旅行記雑感

さて、韓国の巫俗信仰が、キリスト教と習合している話をする前に、巫俗信仰(シャーマニズム)というものにちょっと触れておきます。シャーマニズムは世界中に見られます。シャーマン(shaman)が、脱魂(トランス状態)になったり、憑依(possesion・所有、とらわれ状態、神や何らかの霊、祖霊など)されたりして、気づくと何も覚えていないのです。これは、太古の昔から人類が、生きていくために豊穣を願ったり、子孫繁栄、難局の打開を願わざるを得なかったからでしょう。また、ある決断に迫られたり、自分や身内、あるいは村人が病気や災害に苦しむとき、何かにすがわらざるを得なかったからでしょう。これは、現代でも変わりません。科学万能なんて嘘で、常に自分や社会に問題を抱え悩むのが人間、生きとし生けるものですから。まして、将来のこととか不確実で常に不安を伴うものです。保障なんてありません。それが、生きとし生けるものの宿命で、人が生きるということです。目の前にある物質(例え、それが黄金の山だったりしても)は、人に救いをもたらすとは限りません。苦しくてもがくとき、超自然的なものにすがりたくなるのが人間なのでしょう。

シャーマニズムは、原初的原始的宗教なのでしょう。日本の神道、天皇陛下が私的行事として行っている神嘗祭や新嘗祭、他もろもろの儀式。これらも、私はシャーマニズムだと思うのですが。神社の神主の祈祷も。邪馬台国の卑弥呼も巫女だったとか。魏志倭人伝に「卑弥呼は鬼道を操る」とあります。平安時代、陰陽師が幅を利かせました。有名なのは、安倍晴明。

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konest.comより。

おばさんの巫堂の踊りのようですね。

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konest.comより引用。

最近体が不調で悩んでいる女性のために踊っている巫堂。学士が銅鑼、太鼓、鉦、チャルメラなどを奏で脱魂あるいは憑依状態になり、刀の上を歩いたりもするそうです。そして、依頼者にアドバイスをする。

巫堂の楽曲は、韓国の伝統音楽にもなってます。やかましく、暗く、私は1分間も聞いてられませんでした。日本でも古墳時代や弥生時代、巫女のお告げを聞くのに琴の音色が必要だったそうです。音楽って、宗教から生じた部分あるようです。カトリックでも神を感じるために教会で、パイプオルガンを演奏して、グレゴリオ聖歌を歌わせたり。あれ聞いていると、天国に昇る気分になりますよ。安室奈美恵のコンサートも熱狂するフアンは一種の神がかりかもしれません。

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konest.comより引用。

韓国の巫堂たちの家が6件集合した長屋。

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konest.comより引用。


そこには、こういうものも。巫俗信仰には、道教や仏教に影響されている部分があるそうです。これも、習合?? 巫堂が踊っている間、念仏を唱える学士もいるそうです。ナムアミダーブルと。

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konest.comより引用。

赤と白の三角の旗と卍。これが、巫堂の家の印です。韓国の町のいたるところに見かけました。最初、何なのか分かりませんでした。救護院みたいなところかな?と思いました。日本の「安心の家」みたいな。

生まれた子供に名前を付けるにも、巫堂に頼る人がいるそうです。

(続く)



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# by araeshuzo | 2018-09-01 00:30 | 旅行記雑感

韓国のシャーマニズムについてです。

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ameblo.jp SONEさんのブログから引用させていただきました。元は 韓国文化財ホームページより。

韓国の人間国宝の舞「巫舞(クッ)」

韓国のシャーマニズムは、巫俗信仰(ふぞくしんこう・日本語読み・日本語にこの言葉はありません)と呼ばれ、シャーマンのことを巫堂(ふどう・日本語読み・日本語にない)といい、男の巫堂、女の巫堂もいます。李王朝の時代は、儒教での厳格な支配でした。儒学者は支配階級である両班(やんばん)になれましたが、僧侶や巫堂、芸人、奴婢(奴隷・売られたりもする)は、賤民でした。両班の下には、中人(医官、技術者、科挙受験資格あり、学ぶこと可)常人(農、工、商、学ぶこと不可)がおりました。その下が賤民、そして、最下級が白丁で動物の屠殺の仕事をさせられていました。

日本統治時代にこの身分制度は廃止され、皆学校で学ぶことができるようになり、官吏にも何にでもなれるようになりました。日本の敗戦で日本人は朝鮮半島から撤退、1948年、北に朝鮮民主主義人民共和国、南に大韓民国ができました。すると、迷信だとかの理由で、巫堂はまた被差別者になりました。しかし、1970年代になると、韓国に民族主義が高まり、巫俗信仰は韓国固有の宗教で、仏教以前からある民族宗教と見直されるようになったのです。巫堂の舞(神がかりになったり、トランス状態になったり)の名手は、先生と呼ばれたり、学者と交わったり、中には人間国宝になったりする人も出てきて、韓国のシャーマニズムは健在です。

キリスト教徒からは、巫堂は「悪魔」とか呼ばれているのですが、実は、韓国のキリスト教は巫俗信仰・シャーマニズムの権化・化身なのです。何と習合?しちゃっているのです。詳しくは、次回。

(続く)

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# by araeshuzo | 2018-08-28 20:14 | 旅行記雑感

525年、に日本に仏教を伝えた百済ですが、667年に日本の応援にもかかわらず唐と新羅により滅ぼされたことは、以前お伝えしました。ずいぶん仏教文化が花開いていたようです。

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これらは、今は博物館で写真により復元された石窟にあるものです。浮彫なのに首が取れています。その後の凄まじい戦乱・内乱・廃仏毀釈の歴史を物語るものかもしれません。

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かつての百済の都はこのようだったのでしょう。これらの建物は、扶余にロッテと韓国政府が出資して作った百済復元の都です。運営はロッテが行っており、近くにロッテホテルやお土産屋があり、黒字だそうです。

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復元された寺院内の三尊像。


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復元された五重塔。見事なものですね。

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五重塔の内部図面。日本の五重の塔にそっくりです。こういった設計図が日本にもたらされたのでしょうか?百済の渡来人とともに。


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地震が起きても倒れないように工夫された心柱でしょう。日本が誇る古代建築技術です。が、心柱が百済に?朝鮮半島はそんなに地震多いのか?この建築技法は、現在の韓国の建築会社が日本の五重の塔を真似たものではないか?と、勘ぐっちゃいます。日光輪王寺の五重塔は、心柱が数センチ宙に浮いています。それは、東京スカイツリーの構造にも応用されたそうです。

日本の古代、どこに行っても朝鮮半島の渡来人がもたらした技術とか文化とか聞くのですが、私は首をかしげてしまう点があるのです。それは、この先追い追い話すとしましょう。



百済滅亡後、統一新羅が起こり仏教は続きます。そして、10世紀に高麗が起こり仏教はますます盛んになります。高麗時代は、僧侶が政治に介入し国の乱れを招きました。日本にも、奈良時代、僧侶の道鏡が称徳天皇(女性天皇)に重用され、自ら天皇になろうとした事件がありました。和気清麻呂が宇佐神宮の神託は偽であることを告発し、日本の歴史に汚点を残すことはありませんでしたが。

しかし、桓武天皇は奈良仏教を嫌い、都を京に移しました。そして、新たに寺院を作り、空海や最澄などの密教に期待しました。

韓国の場合、15世紀に高麗が滅び、李氏朝鮮が起こると仏教そのものを弾圧します。僧侶たちは山に逃れ、あるいは賤民に身を落とします。韓国で古い寺院が山の中にしかない理由はここにあります。町中にある寺院は壊されてしまったそうです。半端ないですね。

日本も明治になって、廃仏毀釈がありましたが、本当の意味は神仏分離で、本地垂迹説はやめよ、神と仏は別なものですよというのが明治政府の考えでした。寺院にでかい面されて、面白くないと思っていた神主たちが仏像を壊し、焼却したりしたというのを、日光輪王寺のお坊さんから聞いたことがあります。明治の廃仏騒動は短期間で終わります。民衆の何もそこまで、という気持ちがあったのだと思います。こういう点含めて日本の民衆は歴史的に強いのではないかと思います。

韓国の場合、李氏朝鮮による仏教弾圧は、戦国時代の比叡山延暦寺の焼き討ち、一向宗弾圧のような凄まじいものだったでしょう。寺院が大名並みの力を持ち、天下を統一しようとする信長や秀吉に対抗するわけですから。しかし、日本の場合、仏教そのものを弾圧しようとしたのではありません。信長や秀吉は新たな神社仏閣を作ったり、高野山は保護しています。李氏朝鮮の場合、僧侶階級が政治に口出しできないよう放逐したということだと思います。そして、李氏は儒教を国教とします。

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公州の公山山城の麓にあった寺院です。最近建てられたものと思われます。壁画に物語性があり、印象的でした。李朝朝鮮の長く続く仏教迫害(途中、王妃による保護もありましたが)により、せっかくの古い寺院、仏像は、日本のようにあまり残っていないのが実情でしょう。

(続く)



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# by araeshuzo | 2018-08-25 18:20 | 旅行記雑感

公州の武寧王陵を見て、下山の途中、このような墓群がありました。

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これは、古墳ではなく、最近亡くなった方の墓地です。韓国では田舎の方に行くと、山の中腹や畑の隣に直径2メートルか3メートルの円墳がよく見られます。お金持ちの方だと、大きな石碑や石の祭壇が設けられています。

観光案内所で日本語が上手な方(ご主人が博士号を取得するため日本に数年滞在歴ある)に韓国人の墓について尋ねましたところ、この種の墓は伝統的で儒教式に葬儀を挙げるのだそうです。石碑には自分で考えて戒名?を付けるのだそうです。

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こちらは、日本の高野山で見つけた韓国人の方の墓です。凄く苦労して生きてきた故人やその母の人生が石碑に刻まれています。韓国でよく見かけるものはここまで立派でなく、この墓は上野の寛永寺の将軍墓所・最後の徳川将軍慶喜公のものに類似していますね。高野山には中世からの大名や近代の著名人などいろいろな墓がありますが、ここに葬られることはステイタス・シンボルのようです。

(続く)

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# by araeshuzo | 2018-08-24 16:57 | 旅行記雑感