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 紀元前の古代ローマは、共和制でしたが、大規模な奴隷の反乱が3回起きています。3回に及ぶ奴隷の反乱の死者数は、紀元前134年から紀元前71年までの間におよそ100万人と言われています。

 第一次奴隷戦争は、紀元前134年から紀元前131年まで続きました。

# by araeshuzo | 2021-06-06 23:57 | 旅行記雑感

 こちらは、ナポリの国立考古学博物館にあるあの有名な

 
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 大モザイク画、「アレクサンドロス大王の戦い」です。日本の歴史の教科書にも載っていますね。ポンペイの「牧神の家」の床を飾っていたもので,「踊る牧神の像」と共に発掘されました。
ローマ人はヘレニズム文化に憧れていましたから、東方の異民族の王と戦うマケドニアのアレクサンドロス大王のモザイク画を屋敷に作らせ、楽しんだのでしょう。なんせ、西アジアのガンダーラ(現在のパキスタン)まで征服し、インドにまで迫った大王ですからね。お陰で仏像ができて、日本にまで届きました。

 こちらが、「踊る牧神の像」です。

 
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 東方の国の王ですね。

 
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 こちらは、モザイク画の欠けた部分を修正して描いた複製絵画です。激しい戦いの様子が、伺えますね。


 
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 こちらの絵画は、ルネッサンス期あるいはその後の時代に描かれたものと思われます。様式がバロック的ですね。何やら、戦争で勝利し、凱旋したときの様子を描いた絵画のようです。左下の縄で縛られた男をご覧ください。これは、イタリアだけでなくヨーロッパを知るうえで重要なポイントです。この男は、捕虜で奴隷にされたでしょう。

 
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 ガラスの容器に入った奇妙なもの、何だか前衛芸術にも見えますね。人と馬がくっつきあってる。これは、コロッセオの剣闘士競技と大いに関係しています。これは、異民族との戦闘場面を造形化したものでしょう。これが、古代ローマであり、イタリアなのです。こういうの日本にはないでしょ。

 もともとは、剣闘士の試合は、儀式でした。戦争で死者の栄誉を称える儀式でした。捕虜の血を偉大な戦士の墓に注ぎ、捕虜の力を英雄に捧げ、復讐もする。しかし、捕虜同士を戦わせる方が、面白く、見世物にもなります。そして、勝ったものは、生き延びられる。このようにして、剣闘士競技は、故人となった偉大で、崇高なローマ人の遺徳を偲ぶ儀式からはじまりました。最初の剣闘士競技は、紀元前264年で、ブルートゥス・ペラという人の葬儀での追悼のために行われました。6人の奴隷が3回試合を行う規模でした。

 しかし。次の文は「殺戮の世界史」という本からの引用です。

 「ローマ人にとって、剣闘士の戦いは、市民生活には欠かせないものとなった。これは多すぎる戦争捕虜や犯罪者を処理しながら、流血や苦しみの光景にローマ人を慣れさせるという目的もあった。四方八方を敵に囲まれた戦士の民族であるローマ人は、若いころから、暴力死に慣れなくてはならない。剣闘士の試合は勇気と威厳をもって、死と向き合う方法を、見本によって教えていた。憎悪の対象となる奴隷、犯罪者、外国人が体をバラバラにされる姿を見ることで、自分がローマ人に生まれたことがいかにありがたいことかも胸に刻みこまれた。
(原典 Kyle , Spectacles of Death in Ancient Rome,p45)

 これを読むと剣闘士の試合は教育でもあったのですね。今の日本には、縁が無いですが。

 古代ローマ共和政の時代、剣闘士の試合は政治家の人気取り、つまり、選挙時に自分に投票してもらうために盛んになり、儀式から娯楽へと変化していきます。紀元前65年、あのジュリアス・シーザーは、1年間に320組の剣闘士を戦わせています。彼は、政治家、軍人として優秀だけでなく、大衆を喜ばせる名人でもあったようです。戦闘士に風変わりな武器を持たせたり、金メッキの鎧を着せたりして、正にエンターテイメント!!!あのローマの巨大な7万人収容のコロッセオは、こういう必要があって建設されたのですね。


 さて、再び、フィレンツエに戻ります。共和国政庁舎だった建物(ヴェッキオ宮)の2階は、「500人広間」と呼ばれ、会議場でした。今は、コンサートなどが行われています。500年以上前の建物が今でも機能しているのですから、さすがはイタリアの建築物ですね。

 
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 こちらは、ステージに向かって、左側の大壁画、

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 こちらは、右側の大壁画。いずれも、戦闘場面です。西ローマ帝国が滅んだのち、カトリックに支配され、剣闘士試合は無くなりましたが、ドイツ、スペイン、フランスなどに侵略されます。戦争との因縁は深いようです。だから、議場にこういう大壁画を描かせて、議員はこれを見ながら政治を考えたのでしょう。

 日本は、

 
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 名古屋城です。1612年に築かれた天守閣は、戦時中米軍の爆撃で焼けました。加藤清正の指導により、大阪城落城後の1620年まで建設は続いたそうです。尾張徳川61万石の城で、まだ、徳川幕藩体制が盤石でない時代、西方への大名に睨みを利かせるために築城されました。今の天守閣は、戦後コンクリートで再建され、中は博物館のようになってます。

 近年、木造で本丸御殿が復元されました。

 
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 城の中の御殿て、珍しいですね。天守閣は残っていても、御殿があるのは他にないでしょう。

 中に入ってみると、

 
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 出迎えるのは恐ろしい虎の絵です。玄関から入ってきた諸大名をここで、ビビらせたそうです。「ここに住んでいるのは、家康様の子じゃ。舐めんなヨ!食い殺すぞ!」と。

 ですが、

 さらに中に入ると、
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 優雅な襖絵。和みますね。

 
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 藩主と対面する間もこんな感じです。右の四角い欄の裏には、警護の侍が隠れていて、藩主に危害を加えようとしたら、すぐに飛び出してお守りするという具合だったそうです。すぐに形骸化したそうですから、天下も落ち着き。

 
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 大広間もこんな感じです。優美な絵ですね。

 いかがですか?フィレンツエのヴェッキオ宮の500人広間の大壁画と比べて。日本には、大阪夏の陣や長篠の戦のような屏風絵はありますが、御殿の襖絵に戦さの絵を描くというのは聞いたことありませんね。これは、歴史の違い、精神性の違いでしょう。

 (続く)

 
  

# by araeshuzo | 2020-05-28 23:09 | 旅行記雑感

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さて、これは何だと思いますか?

 
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 前回(424)でお見せしたシニョリーア広場の大理石像と繋がりのある青銅製のレリーフです。同じ広場の屋外ギャラリーに展示されています。「サビーニの女たちの掠奪」と呼ばれています。後の時代、二コラ・プッサンによる絵画もあります。よくみてください。穏やかなレリーフじゃないことは分かりますよね。男が女を強奪しているシーンです。乱交なんてもんじゃありません。しかし、これが古代ローマを建国(紀元前753年4月21日)したロムルス(狼に育てられ、双子の兄弟レムスを殺した初代の王)が18歳の時に、3000人の部族の仲間とやったことです。

 しかし、2800年前のことと言え、イタリア人はよくもこんな破廉恥なことをレリーフや大理石像にして、共和国政庁前広場に今でも飾っておけますね!実は、これ、古代ローマの偉大さを表す歴史的出来事なのです。えっ、女の強奪が?それじゃ、コロナウイルスにやられたって仕方ないどうしようもない民族じゃないか!とお思いでしょうが、少子高齢化で悩む日本人が見習うべきことかもしれません。

 ロムルスは、ローマのフォロロマーノの高台であるパラティーノの丘に城壁をめぐらします。同じ部族を守るためには、当然のことです。今の日本人には意識が軽薄なようですが。


 
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 パラティーノの丘の入り口にあるリヴィア(皇帝アウグストゥスの妻)の家です。古代ローマ共和政期は、高級住宅地で、その後の帝政期には、皇帝たちが宮殿を建ってました。

 
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 リヴィアの家の裏側です。

 
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 ファルネーゼ庭園です。庭園に墓を建てるとは、イタリアならではですね。有名人ですが、誰の墓か忘れました。

 
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 真ん中遠くに見えるのは、コロッセオです。パラティーノの丘からはきれいによく見えます。

 
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 パラティーノの丘から見下ろしたフォロロマーノ


 ここ、パラティーノの丘に城壁を築くことの次にした初代王ロムルスの国家事業が、近隣のサビーニ部族の女の強奪でした。ローマ誕生直後のローマ市民のほとんどは、独身の男性でした。これでは、国家の繁栄は無理です。子供ができないと。それで、近隣の他部族の女を強奪したのです。

 
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 他人の亭主を生け捕り、奴隷に。

 
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 これなんか、他の男から女を奪うシーン、実にリアルですね!

 
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 異民族に対するこのいじめ根性、これがローマを発展させたと思います。そして、

 
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 女であっても、従わないと首をちょん切るこの残虐さ


 二つの部族は、以後、何度ともなく争いを続けました。しかし、女は平和を好む天使なのでしょうかね?夫であるローマ人と親兄弟であるサビーニ族が殺しあわないようある女性が諫め講和が結ばれました。サビーニ族の自由市民には、ローマ人同様の市民権、つまりは、財産権、投票権が与えられ、サビーニの長老には元老院の議席も与えられました。ロムルスはこうして、人口の増加と兵力の強化を得ました。後の歴史家プルタルコスは、「敗者でさえ、同化させるこのやり方は、ローマの強大化に貢献した。」と言ってます。

 古代ローマ、帝国、根底には異民族の征服と寛容性が根っこにあるようです。おそらく、日本の古代にも市民権、投票権、元老院議員は無かったにせよ、同じような寛容性はあったのではないかと思います。日本神話をもっと研究してみたいと思います。

 古代ローマの民主制と奴隷制、これ興味深いですね。これ、コロッセオの剣闘士にも繋がっていきます。

 (続く)

# by araeshuzo | 2020-04-29 21:41 | 旅行記雑感

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 お馴染みのイタリア・フィレンツエ共和国政庁舎(ヴェッキオ宮)とその前の広場です。

 
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 1498年、ここであのサボナローラ(サン・マルコ大聖堂院長、フランス王シャルル8世のイタリア大遠征時に王を懐柔したり、メディチ家を追放したり、教皇を批判したり、神政政治の挙句、憤怒の塊となった暴徒に襲われ、市当局に逮捕)は、火あぶりにされ、処刑されました。宗教改革の時代も狂気があったのですね。ルネッサンス期の多くの絵画や書物を堕落の産物として焼却。つまりは、古代ローマ文化の復活という新たな時代についていけなかった人なんですね。中世の時代に籠り、神政に囚われ過ぎた修道僧。

 この広場は、シニョリーア広場と呼ばれ、周りには、

 
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 これ、日本の神社の狛犬と関係あるのでしょうかね?そっくりです。この手の中のものはメディチ家の紋章らしいのですが?


 
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 どう思います?この大理石像。正に、いじめ!

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これ、どう見ても首をちょん切って、


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後ろから


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 さて、ここまで来たら、何やってんの?と 相手は、女?


 
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 フィレンツエの旧共和国庁舎前広場(市民が政治を議論した広場)の周りにはこういう像があるのです。これは、どういう事???

 (続く)

# by araeshuzo | 2020-04-25 20:12 | 旅行記雑感

 
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 これは、お墓ではありません。あのジュリアス・シーザーが火葬された場所です。フォロロマーノの真ん中辺にあります。2000年以上絶った今でも花束を手向ける人たちがいるのですから、彼はやっぱり古代ローマの英雄だったのですね。

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 火葬場の外側です。

 
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 火葬場の説明書きです。

 
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 右側の茶色い建物が元老院です。シーザーは、この元老院に向かう途中で暗殺されたそうです。ローマの歴史、秀でたものがたくさん暗殺されてますね。この元老院の建物、修理再建されていると思います。後ろのドームや左のたてものは、古代ローマの中心である(ローマのヘソと呼ばれている)フォロロマーノとは関係なく、ルネッサンス期に建てられた教会や民間の建物です。

 剣闘士競技は、紀元前264年から紀元後435年(西ローマ帝国が亡ぶ頃)のおよそ700年間続けられました。殺された剣闘士の数は350万人、1年当たり5000人、1日当たり17人です。異常な数字ですね。何故このようなことがローマ市民の熱狂とともに行われたか?それは、後でお話しすることとして、ローマ全土の剣闘士競技は政治家や有力者、帝政に入ってからは、皇帝が後援者となって行われたと言われております。入場料無料、競技場の外の宴会場では、競技場で殺された動物の肉が焼かれて、振舞われたそうです。シーザーも後援者の一人で、紀元前65年には、320組の剣闘士を戦わせたそうです。練達な政治家としてだけでなく、大衆を喜ばせる名人でもあったそうです。

 (続く)

# by araeshuzo | 2020-04-10 18:48 | 旅行記雑感

両毛青少年国際交流クラブ・荒江学習塾で生きてきて、私がやっていること、言いたいこと

by araeshuzo
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