2017年 01月 30日
(318)比較旅行編 (3-7)大国主の命と大天使ミカエル、そして男根崇拝
馬頭観音というのは、あまり馴染みないですね。私も去年日光山輪王寺でお目にかかるまでは、お顔を存じませんでした。不動明王みたいに憤怒の形相です。別名馬頭明王。でも、聖観音(観世音菩薩)の変化(へんげ)の一つで千手観世音菩薩や如意輪観音と同じです。いわゆる観音様。観音様は六観音とか」十五観音とか三十三観音とか悩める人々の苦しみに合わせて姿を変え、救ってくださるのだそうです。ずいぶん懇切丁寧な仏様ですね。いわゆる、個別対応です。また、死んだ馬の供養にと、石仏としての馬頭観音もあります。私の家の本家には、戦国時代に建てられた馬頭観音の石碑があり、お像はなく馬頭観音の名だけ記されていました。矢場城の御典医をしていた新井将監(しょうげん)という先祖の馬のために建てられたものと思います。
日光山輪王寺と日光二荒山神社(双方とも奈良時代に勝道上人が開いたと言われています)の神仏習合について、お話しする前に、フランスの教会と日本の神社仏閣の違いはどこから生じるのか考察してみたいと思います。
神道には教義というものがありません。ただ祈るだけです。お水堂で口や手を清め、お祓いをしてもらったり、お神酒をいただいたりして、清らかな気持ちでご利益を祈ります。現世利益の宗教です。また、八百万の神がおり、汎神論、いわば、この世のすべてが神であるとする自然崇拝です。一方、悪霊の祟りを畏れ、荒ぶる魂の鎮魂をします。(続く)
by araeshuzo
| 2017-01-30 14:57
| 旅行記雑感