(347)この穴を見てください。(21)

水戸学は、明治維新の中核的思想ですが、明治維新への道に至るにはこれだけではなかったようです。いろんなベクトルが働いていて、それが一本のベクトルに収斂したのが明治維新なのではないかと思います。これこそが日本の素晴らしいところで、欧米の植民地にされてしまった他の国々と違うところです。でも、いろいろな人々の血が流されています。

「この穴」に向かう前に、ちょっと別のベクトルを見てみましょう。

以前、申し上げましたように、18世紀終わりごろから、日本近海には外国船が頻繁に姿を現します。軍艦ばかりでなく、商船、捕鯨船などです。1808年のフェートン号事件(長崎にオランダ船を装い、イギリスの軍艦フェートン号が水、薪、食料などを強奪、長崎奉行は責めを負うて切腹)、1837年のモリソン号事件(この時は、異国船打ち払い令により追い払う。相手はアメリカの商船でしたが、これがきっかけで別のベクトルを唱える学者が出てきました)、そして、1824年の大津海岸事件です。

なんと、尊王攘夷の宗家である常陸の国水戸藩の大津海岸にイギリス船が上陸してしまったのです。藤田幽谷は、一人息子の東湖と弟子の会澤正志斎を差し向けようとしました。「何もせず夷狄を放免することあらば、宿舎に乗り込んで皆殺しにせよ。東湖が死んで、家が途絶えてもこれは大義滅親であるから、かまわん。」と命じました。東湖19歳、死を覚悟してのことです。しかし、幕府からの代官が水、薪、食料を与えてもう放免してしまったという飛脚からの知らせを聞き、親子ともども憤慨するのでした。テロリスト父子です。この翌年、1825年に異国船打ち払い令が出されます。翌年、1826年に幽谷は病で亡くなります。

ほぼ同時代、別のベクトルを考える人たち、渡辺崋山、高野長英、佐久間象山がいました。渡辺崋山(1793-1841)は、三河の国(愛知県)の田原藩(12000石の小藩)の藩士の子供として、江戸藩邸で生まれました。最初は儒学を学びましたが、幼少から貧困に苦しみ、家計を助けるために絵も学んだそうです。1824年、父の死により家督を継ぎ、1832年に年寄り役末席(家老)となります。頭よかったんでしょうね。幕末に活躍した人たち、NHK大河ドラマの「西郷どん」に出てくる西郷隆盛始め、大久保利通、吉田松陰、佐久間象山等々、武士であっても食うや食わずの生活しています。そして、強い信念を持っていますね、いや、魂を。貧乏でいじけた人たちではないですね。


(続く)



[PR]
by araeshuzo | 2018-02-07 20:31 | 歴史・哲学