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(369) 韓国日本世界遺産古墳巡りの旅 (扶余郡編10)

さて、神仏習合ということを考えて行こうとおもいますが、別の言い方で本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)とも言います。本地はインドの仏さまたち、垂迹はその仏さまたちが日本の神様に姿を変えて現れたということです。天照大御神は大日如来(毘盧遮那仏)なのだそうです。凄いですね、日本人の考え方って。これで、土着の宗教を(?、宗教という言葉はどうも明治になってから、英語やフランス語のreligionの訳語のような気がします。本来、日本には宗教というものは存在せず、神仏を敬う気持ちだけあったのではないかと思います。日本人て、無宗教でしょ。それでいて、正月には明治神宮、川崎大師、成田山新勝寺に何百万という参詣者が訪れます。まるで、メッカの大巡礼です。)これで、土着の神々、民族信仰を排除せず、仏法という新しい哲学、心に安寧を得る方法を得たのではないかと思います。柔軟性があるというか、寛容性があるというか、つまりはいい加減ですね!

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定林寺博物館の五重塔を建立している様子を人形で再現したものです。王族や職人、人足たちも苦労したことでしょうね。すべては国家安寧のため?だったと思います。その情熱はすさまじいものだったでしょう。奈良の東大寺の大仏の建立のように。何故、人は苦労してこのような建造物を作るのか?文明や科学が発達した今でも、人間は、地球上で生きる生きとし生けるものはすべて不確実性のもとに生きています。今の日本でもいつ地震や津波に襲われるかもしれません。命の保障生活の保障なんてありません。まして、古代では飢饉や疫病などどこの国でも人々の不安の種だったでしょう。生きながらえるため人類は、安寧を求めて祈るという精神的作業をせざるを得ない宿命なのでしょう。否、人類だけでなく動物植物も。

この百済の五重塔が造られている頃、シルクロードのオアシス沿いの都市では、石窟寺院や千仏洞が造られていました。ベゼクリフ千仏洞(ウイグル)、キジル石窟(ウイグル)、クムトラ石窟等々。仏教が起こって千年。アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)がアジアにギリシャ文化をもたらして800年、ガンダーラに仏教美術が起こって600年くらい経ってからのことです。

バーミヤンの大仏に戻りますが、男像が大日如来(別の仏の文献もあります。日本の神仏習合では大日如来は天照大御神で女性)、女像は釈迦如来(はて、?、お釈迦様は女性だった???)凄いですね、このいい加減さ!!!これらの大仏様には、ヘラクレス(ギリシャ神話の半神半人の英雄)の脇像もあったそうです。日本で本地垂迹説が起こる前に、インドの隣のガンダーラ王国(BC6世紀からAC11世紀、アフガニスタン東部からパキスタン北西部、AC1世紀~5世紀、クシャナ朝で仏教最盛)では、すごいことが起きていたんですね。これも神仏習合ということなのでしょうか?石窟寺院や千仏洞は、岩山の断崖に何百年にも亘って造営されております。これって、経済力と情熱がないとどんな王様でもできません。繁栄の証?

(続く)



by araeshuzo | 2018-07-04 01:54 | 旅行記雑感

両毛青少年国際交流クラブ・荒江学習塾で生きてきて、私がやっていること、言いたいこと

by araeshuzo
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