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(380) 韓国日本古墳巡りの旅(東アジアの神仏習合編8)

東学党とは、李朝朝鮮末期の新興宗教です。キリスト教の西学に対しての言葉で、仏教、道教、儒教を混ぜた教えです。修業、修業をすれば、天に生まれ変われるという信仰で、ヨーロッパや日本などの外国勢力を嫌いました。何だかオーム真理教のようなカルトだったかもしれませんね。1894年5月、東学党の乱(甲午農民戦争)引き起こしました。この頃の朝鮮は、それはそれは、ひどいもので正に韓ドラそのものです。

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上記の写真は、無残で見るに堪えないものですが、甲午農民戦争で農民20万人を蜂起させた東学党の幹部・全ホウ準(ぜんほうじゅん)のさらし首です。映像が語る「日韓併合」史・労働経済社刊からの引用写真ですが、日韓併合が行われる前の処刑で(1895年4月24日)、まるで日本人がやったみたいな編集ですが、在朝鮮日本公使の井上 馨が全ホウジュンの人格に感心し、死刑にしないように朝鮮政府に言っておいたのに、井上が日本に帰国している隙に殺しちゃいました。

何故このような朝鮮史上最大の農民反乱が起きたのでしょう?それは、当時の朝鮮社会、李朝政府が腐っていたからです。そしたら、農民は苦しいでしょう。軍人でさえ砂の入った米を配給され、反乱を起こすくらいですから。

イザベラ・バードというイギリス人女性旅行家が、1894年から3年間朝鮮を4度旅行し、「朝鮮紀行」という分厚い本を書いています。(日本も旅行し、日本旅行記を書いています。)
この本は緻密な観察と詳細な情報収集に元ずいて書かれており、学術的にも優れたもので当時の朝鮮社会の様子、政治や経済等よく分かります。100年以上も前に書かれたものとは、思えないくらい生き生きと描かれています。1894年に(日清戦争の年)に朝鮮に来たときは、62歳でした。この年齢で朝鮮中旅行し、名著を書き上げたことに敬服します。この本の中の一節を引用しますと、

講談社学術文庫「朝鮮紀行」474ページ
「朝鮮国内は全土が官僚主義に色濃く染まっている。官僚主義の悪弊がおびただしくはびこっているばかりでなく、政府の機構全体が悪習そのもの、底も無ければ汀(みぎわ・川や湖の陸との境、水辺)もない腐敗の海、略奪の機関で、あらゆる勤勉の芽という芽をつぶしてしまう。職位や賞罰は商品同様に売買され、政府が急速に衰退しても、被支配者を食い物にする権利だけは存続するのである。

この時期の両班の数は人口構成の5割でした。7割という説もあります。生産に携わらない階級の方が多いなんて異常です。これも両班の地位や収税吏の地位を金で買い、略奪される側から略奪する側に回った人が多いからでしょう。収税吏の権利を買った人は、自分の家の近くの川で向こう岸に渡ろうとした人がいたら、税を徴収するとか。農民はどんなに豊作でも喜ばない。年貢としてその分持っていかれるだけですから。やる気なくなるわけです。国も国力衰え、弱小国家になったわけです。

これが、儒教を国教とした李朝朝鮮なのでした。

(続く)





by araeshuzo | 2018-09-16 16:59 | 旅行記雑感

両毛青少年国際交流クラブ・荒江学習塾で生きてきて、私がやっていること、言いたいこと

by araeshuzo
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