2019年 05月 07日
(388) 韓国日本古墳巡りの旅(東アジアの神仏習合編16)
八尺瓊勾玉がある場所は、皇居の天皇陛下の暮らす吹上御所の陛下の寝室の隣の剣爾の間です。ここに草薙剣とともに置かれているそうです。
三種の神器は、天皇といえども見てはならぬという禁制が古代からあります。でも、長い歴史の中で見ざるをえない、見てしまったという歴史もあるのですね。平安時代末期の源平合戦の壇ノ浦の戦いの末、安徳天皇と侍女たちは海に身を投げました。その折、草薙剣も海の底に。八尺瓊勾玉は、箱がプカリと浮いてきて、源氏の手に渡ったそうですが、その箱、二重になっていたそうです。つまり、箱の中にまた箱がということです。空間ができることにより浮力が強かったということですね。海から引き揚げた者たちが、中を見ると珠玉が8個あったそうです。勾玉(曲がった玉)でなく、所謂、ボール状の玉だったとのこと。これじゃ、八尺瓊珠玉(やさかにのしゅぎょく)ですね。仏教の影響で数珠のようになっていたのでしょうか?天岩戸の神話に由来する玉。以来、見たという記録はありません。
八咫鏡は、その折、無事だったそうです、安徳天皇とともに道ずれにされることもなく船の中にあったそうです。天岩戸からの神話によりますと、岩戸にぶっつけて鏡に少々傷がついたそうです。傷があることは、日本書紀にも書かれており、ということは、誰か見たものがいるということです。
三種の神器が実際は、いつどこで、誰によって製作されたのか分かりませんが、八咫の鏡が伊勢神宮の内宮と陛下のおそば(皇居三殿のひとつ賢所)にあるとのこと、その二体の鏡いずれにも同じ傷があるのだそうです。これは、スゴイ???ですね。
草薙剣を見たものについては、3回ありまして、江戸時代、熱田神宮の宮司が禁制を破ってみてしまったそうです。宮司は首。一緒に見た者たちは皆病死したそうです。「ならぬものは、ならんのです。」ね。伊邪那岐も亡き妻の黄泉の国での姿を見てしまったから、ああなりましたね。明治時代、と昭和21年8月、天皇の勅令により、草薙の剣の箱が老朽化したので新たなものに取り換えることがあったそうです。天皇の勅封と侍従の封がしてあり、白い布で巻かれ、何とも神秘的な雰囲気があったそうです。八岐大蛇の尻尾から出てきた剣ですからね。この時は、天皇の勅令による開封ですから、死んだ者はいなかったそうです。
ここは、東御苑、旧天守閣まえの広場です。ここに本丸があり、大奥(将軍の家族が暮らすところ)中奥(将軍の休憩所)、将軍の執務室がありました。この本丸から濠を隔てた宮内省の隣の昭和40年に建てられた新宮殿の後ろに、皇居で最も神聖な三殿があります。そのうちの一つ、賢所(天照大御神を祀る)に八咫鏡があるそうですが、何故、三種の神器を持つことが天皇であることの証としてきたのでしょうか?私の推察ですとーーー
(続く)
by araeshuzo
| 2019-05-07 07:42
| 旅行記雑感