生徒に引かれて(43)

 彼女に会った当時私は中国の実情とか知りませんでした。知っていたのは大学時代習った中国史と、テレビで得たシルクロードなどの知識でした。つまり、中国のいいとこばかり、古代のロマンです。美化された中国といっていいでしょう。

 彼女に会ってから中国人に興味がでましたから、自分の街に留学している中国人留学生や住んでる中国人と会ってはなすことが多くなりました。北京大学の元教授のアパートにはよく行きました。当時テレビで「大地の子」というのをやってましたから、私はビデオに録画しながら毎週泣きながら見ていました。録画したビデオを中国人のところに持っていって「見てください!」と渡して後で感想を聞いても、反応は日本人のように熱いものでなく、冷淡・無関心ですらありました。こっちが感じたように「感動して泣けました。中国にはいい人がいるのですね。陸一心の養父みたいに。」の言葉などには目が向かず、北京大学の老教授が「あの文化大革命の時代、いじめられたのは日本人だけではないですよ。フランス人であろうと、アメリカ人であろうと、外国人は皆いじめられたんです。誤解しないで下さいね。」と言ったのには、「なんだこりゃ?」と思いました。

 こっちは、そんなところには目が行ってない。主人公の陸一心が差別され、いじめられても当然のことだと思うし、そういうことは問題にもしていない。だけれども、この老教授の話は酒を飲み交わしながらのこともあってか、文化大革命のいじめがいかにひどいものであったか、自分は富裕な商人階級の出身で、母親は日本人、大学教授ということもあって、下放されいかに虐げられてきたかを延々と話すのでした。続く
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by araeshuzo | 2006-08-31 21:43

生徒に引かれて(42)

 松任谷由美の歌に「愛はいつでもつかの間ーー、このまま眠ったらー」とか昔の映画に「うたかたの恋」というのがありますが、プーと膨らんではパチンと弾ける。

 彼女の留学生活それはそれは大変でした。学資と生活費のためのアルバイトと勉学生活は彼女の体調を次第に崩していきました。もともと丈夫ではなかったようです。一緒に来日した彼女の友人は、健康を害して留学を断念、帰国してました。彼女も夜中背中が痛いと病院に運ばれる始末。

 「学費いくらなの?」「200万円。」「あー、それ、僕が出してあげるよ。なによりも体が大事でしょ。」そしたら彼女が大声で叫びました。「もう言わないでー!Aさんの好意は分るけど。」もうなにやら興奮気味でした。

 こちらは、彼女の健康が心配で言ったのに、向こうはそれを快しとしなかったようです。こちらはお金に余裕があったわけではなく、ただこの人の為なら惜しくはないという気持ちがありました。もっと歓心を買いたいという気持ちもありました。本気でした。簡単には受け取らない性格だって分ってましたけど、これが彼女の気持ちを傷つけたのかもしれません。人にお金を使わせるのは大嫌いなようでしたし、この時私はこれから露呈していく自分のバカに気付かないのでした。だからバカをさらに続け、「風船」はしぼんでいくのでした。相手がどんなにいい人、好きな気持ちがどんなに募っても。続く
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by araeshuzo | 2006-08-30 21:35

生徒に引かれて(41)

 彼女から帰ってきた手紙は「-----、有難うございました。早く彼女を作って私に紹介してください。」というものでした。なんだこりゃー、?私は人の言ったとおり、文字通りにしかものごとを受け取れない単純な人間ですから、つまり、人の言うことを真に受けるタイプですから、唖然としました。しかし、彼女恋し。

 当時、中学校時代の同級生の子供が私のところで勉強しており、そのお母さん時々私を誘って飲みに行ってました。お店も同級生のお母さんがやってるところで、そこの娘も私の生徒でした。お母さんたちも私の教育論を聞いたり子育て相談にのって貰えるから都合良かったのでしょうね。帰りすがら、恋愛における女の視点を聞いてみようと思い「私、今、好きな女の人いるんですけど、こういうこと言ってきたんですよ。」と打ち明けてみました。すると、「そりゃ、A君の本当の気持ち試してるんだ。頑張ってね。」というものでした。「ふーん。」

 そこで、私は、「あなたのDNA頂戴。それであなたのクローン女を作って、はい、これ私の彼女です、って紹介するから。」

 これから後、しばらく幸せな時が続きました。あの時の彼女の反応今でも思い出すとシビレます。  続く
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by araeshuzo | 2006-08-29 22:07

生徒に引かれて(40)

 昨夜は疲れてブログ書けませんでした。久しぶりの日曜で、夏期講習の疲れで午後4時まで寝ていて、それからライシーの生徒たちと食事会。3時間半ドンチャカ騒ぎしていました。高校生や大学生って、J・キャンプで私の知らぬところでバカやって、それが楽しくてしょうがない年代みたいですね。私も若い頃随分バカやりましたが、それが彼らには青春の一ページになっていくのですね。勉強ばかりで、若さの発露がなかったら若者縮んでしまいますからね。中には萎縮して人とまともなコミュニケーション取れず、発露できないのもいますけど、これは親の育て方の問題。いつも「母は大地なり。」を感じます。

 さて、それからというもの、日本人の女への「訳のわからなさ、と、憎い恋しい」という気持ちを引きずりながら、中国人の彼女の機嫌をどうとるかに腐心しました。電話の回数が増えました。秋になって、私の家の栗の実がなりましたので、「栗送ってあげようか?」「いいわよ。」「いやいや、このままにしておいてもゴミになっちゃうから。」「じゃー、ゴミ送って下さい!」変わった事を言う人だ、でも、おもしろい。

 私はせっせと庭の栗拾いをし、イガ剥きをし、色艶のいいのを集め天火に干して丁寧に箱詰めしました。普段はこんなことしたことありませんでした。庭の花や樹木がどうなっているのか知りもしないし全く関心がありませんでしたから。

 栗の他に柿や工芸品の小箱も入れ愛情を表現できるものにしたと記憶しています。添付の手紙もそれらしいラブレターになっていたはずです。続く
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by araeshuzo | 2006-08-29 01:01

生徒に引かれて(39)

 魔女・悪女のようなイメージが復活し冷たい態度でそう言うのでした。「先週の日曜日どうしてたの?」と聞くと、「ーー島に行ったの。」「一人で?」と聞くと「彼とよ。帰りにーー県の実家に車で送って貰ったの。」「4時間はかかるじゃない。」「そうよ!」

 私の中でガラガラと崩れ落ちるものがありました。自信でした。こっちが年上過ぎるというコンプレックス。「やっぱり、若い女にはーーーという」自信喪失感。それで頭がいっぱいになり、それから何も言う気がなくなり、やがて地下鉄の電車は乗り換え駅に止まり、私と彼女はそれぞれ反対方向の電車に乗りました。「さよなら!」私は少し大きな声で言いました。「さよなら。」

 ホテルに帰って部屋でしばらく茫然としました。「なんだこりゃ?」ベッドの上にドカット仰向けに倒れて、何がなんだか分らない状況に頭を抱え「あんなに結婚願望が強かったのに。30近くなっても結婚できなくて、居ずらくなって、前の会社辞めて東京出てきて、あんなに結婚・結婚て騒いでいたのに、急に冷ややかになって今度は{彼と島に行って送ってもらった。}かよ。

 ワカンネー!ネクタイ外して、上着を脱ぎ、しばらくベッドで動揺を沈め、落ち着いてくると、今度はなんだか寂しくなってきました。孤独ー。そして、ホテルの部屋から中国人の女に電話して気持ちを盛り上げようと電話したくなりました。止めておけばよかったのに、バカの頂点にいるときゃ、そんなこと分らない。

 「もしもし!Sさん?」「いいえ、違いますよ!」{おかしいな?}も一度電話番号確かめて、「もしもし。Sさんですか?」「いいえ、違いますよ。」{はぁ、こりゃ変だな。}今度は慎重にダイアルして、「もしもし!」「あっハっハっハー。」と今度は笑い声。「私だって分らなかった?」あーこりゃ、私をからかっているな。こりゃ気分が明るくなると思っていたら、「なぜ、こんな遅く急に電話してくるのよ。もう夜中の2時よ。私は貴方みたいに朝まで起きてる人間と違うんですからね!」「君の声が聞きたくなって!」するとややヒステリー気味になって「そういうこと、他の女の子にもいっているでしょ。」とっさに私は{なぜ分るんだ?}「いやー、僕は君だけ!」「そういうこと言われると、私、落ち着かなくなるんですけど。」もう怒った調子で叫んでる。「今度、近いうちに会いに行くから。それじゃ、またねー。」

 このとき始めて気が付きました。俺は二股かけてたんだ。なんでこんなことになってしまったんだ。こーりゃ、Sに悪いことしたなー。また落ち込んで、その晩は自分のしたことを悔いて、また複雑な気持ちをあれこれ抱えてとうとう眠れませんでした。この晩は中国女への新しい旅路の始まりとなりました。そう、あの旅路です。続く
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by araeshuzo | 2006-08-27 01:38

生徒に引かれて(38)

 アフリカ人が経営するアフリカ料理のレストランて始めて行きましたですけど、その時、独特の雰囲気ありましたね。私は、民族ってそれなりの「臭い」持っていると思います。科学博物館に行った時気が付きましたけど、蝶って同じ羽の模様をもつもの同士で集まり、同じ臭いを発し、他の模様の種類の蝶と交わらないようにしているそうです。人間もそれに近いものもっているのじゃないかなって感じます。それでも、この人いい人だなって思うと惹かれるのは私おかしいのでしょうかね。genophobia(外国人恐怖症)ってどうしようもないものないらしいですよ。私の教え子のお母さんで白人と黒人の友達は家に連れてくるな、というお母さんがいます。なのに、自分の子供に英語習わせに通わせていたのですから、日本人の外国語習得熱というのも、おかしいですね。その子は大人になって随分心配な人間になりました。やはり、母親の考え・心というもの正しくあるべきだと思います。

 そうでないと、これから語るわたしみたいな目にあいます。まだまだ、先の話になりそうですが。

 会食にいたる前から日本人の彼女、「私を、テーブルの花にするんじゃないでしょうね。私、そんなの嫌よ。私、水商売の女なんて大嫌い!」なんて分けの分らないこと言い出しました。「???I think I love you.」て伝えておいたのですけど、会食が終わって電車の中で二人きりになると、冷たい態度で「ふんっ!あっちに行ってよ。もっと離れて!」魔女
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by araeshuzo | 2006-08-26 01:16

生徒に引かれて(37)

 秋になり、東京に出かけていって久しぶりに日本人の彼女と、アフリカ人のミュ-ジシャン、言い出しっぺのアフリカ人と会うことになりました。私にアフリカの音楽のコンサートを託してアメリカに戻っていた言い出しっぺのアフリカ人ですが、ちょうど日本に来ており、東京・駒込のアフリカ料理のレストランで会食することになりました。このアフリカ人、Z国出身で、ベルギーの大学に国費留学、ヨーロッパ中のアフリカ人青年を纏め上げて、アフリカの国起こし運動をした人物でした。フランスの故ミッテラン大統領、故ヨハネ・パウロ2世とも会見したことがあり、ヨーロッパの閣僚レベルを渡り歩いた人物でした。無論、アフリカの首脳とも関係があり、このころマンデラ大統領のところにも行ってましたね。

 この人との縁は、私が教育委員会に依頼されて、市民のためにフランス語講座の講師をしていた時、若い女性の教え子に紹介され、アフリカの文化のについての講演会を開いたことから始まりました。2回くらい私が企画し、通訳し、それが評判になって他の団体でも講演会に呼ばれるようになり、すかっり私の町でも知られるようになりました。国際交流団体で私が「三色シンポジウム」と言うのを企画し、白人・黒人・黄色人種の3人の知識人による国際シンポジウムを開いた時も、黒人代表として参加して貰いました。黄色人種代表は、私の家の近くに住んでいた北京大学の教授、白人代表は私のところで働いているアメリカ人教師でした。それぞれのパネリストに通訳がつき、私がコーディネーターを務めました。シンポジウム名は、「三色」というのが良くないと実行委員会のほかの委員たちが、私に無断で「---」というのに変えていました。それに気付いたのは当日私がステージに上がったとき。でも、このシンポジウムはおもしろかったです。今から思うと「道楽・遊び」の感ありますけど。お陰で随分アフリカと中国の勉強をしました。特に、中国の勉強は思いもかけず深みにはまり、それが中国人の女とのーーー、続く
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by araeshuzo | 2006-08-25 01:40

生徒に引かれて(36)

 この一方で、私は日本人の彼女とアフリカの音楽のコンサートを機に盛り上がっていました。人間ていうか、男というか、私っていうか、「気持ち」って変ですね。この当時、熱は日本人の方にずっと傾いていたと思います。授業中ボーとしていると、女子生徒に「先生、またあの人のこと考えてるの?」なんて言われて。

 潮の満ち引きがあるように、女性関係にもそういうのがあるようです。アフリカの音楽のコンサートの前後私は、アジア・アフリカ雑貨のお店にコンサート絡みでよく出入りするようになりました。それで、ここの店員の娘があわや3人目になりそうになりました。この雑貨屋のオヤジ、アフリカ製のカリンバをコンサートで売って一儲けと考えていたようです。キチガイじみた変人で、店内は幽霊屋敷のよう。奥に囲炉裏風のお手製の火鉢兼接待テーブルがあり、新品の弥生式土器風の茶碗に抹茶を点ててその娘さんがもてなしてくれました。半ば作法に従い、喫して、茶碗を鑑賞し、「この欠けたところがなんとも趣がありますなー」と新品のガラクタ風茶器を手にして二十代半ばのまだみずみずしさ十分の変人の娘店員も見入っていました。「何故、私が来ると口も聞かなくなり、恥ずかしそうにうつむいたり、時には後ずさりするのだろう?」でも、「このアフリカの音楽のテープ全部貸して下さい。それからこれは売ってください。」と言うと、丁寧に包装して、そのしぐさが可愛いものでした。一緒に、お酒を飲む機会もありましたが、あまり深みのある娘でなく、直に興味なくなりましたが。だけど、こういう時期って、パチンコ玉がジャラジャラ出始めた時みたいに、「おー、おー!」ってありますね。奈落の底が待ち構えてるとも知らずに。続く
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by araeshuzo | 2006-08-24 00:45

生徒に引かれて(35)

 この中国人の彼女、苦労してましたけど、そんなことおくびにも出さず、こっちがしてあげたくて好意でしていることでも、ただでしてあげることを快しとしませんでした。友達としてあげて大学院研究科の入学祝でも、こっちがしてもらったんで感謝しなくちゃならないのだからと、飲食代を万札だして払おうとするし、友達が「そんな顔しないで好意を受け取って。」と説得するのに大変でした。

 そういうところ惹かれる所でした。そういうところは、ミュージカル・サーカスに連れって行った時も見事に出ました。このミュージカル・サーカスとは、私の大学時代の先輩が世界で初めて始めたもので、当時、テレビでも紹介されていました。その先輩からVIP席のチケット貰いましたので、友達も連れておいでと、彼女含めて中国人3人と行きました。パンフレット高額でしたが、ちっとも惜しくはないと3人に買ってあげましたら、サーカスが終わってから、パンフレット買ってもらったから食事はご馳走するというのです。これは中国の流儀かなと思っていました。彼女に会ってから、中国人に興味が出ましたから自分の田舎にいる中国人とたくさん会い、話するようになりました。男の人も女の人も彼女と同じ年くらいの留学生でしたが、レストランで私が払うのは当然という顔。割り勘にしましょう、なんて一人もいませんでした。そっちの方が中国的流儀なんですね。日本人もそうかもしれませんけど。

 そのミュ-ジカル・サーカスに彼女が連れてきた友人たち、北京のS大学から今私と同じ大学に留学してますとか、皆、知性と品性がうかがえる人たち。彼女の友達ってこういうんだ、と「類は友を呼ぶ。」なんだと思いました。

 帰りの電車の中で彼女が「とても楽しかった。いい思い出になります。」と言った時、私は複雑な心境になりました。「思い出になんかしまいで!僕と一緒に歩いていこう。」という気持ちが私に出てきていたのかもしれません。続く
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by araeshuzo | 2006-08-23 01:27

生徒に引かれて(34)

 もう少し、この二人の特色についてのお話しますと、日本人の方は、美人タイプ。でもやや鼻が大きく、口がヘの字に曲がっているので、気になる欠点。ある本にそういう女には気をつけろと書かれていましたから。中国人の方は、ブスタイプ。若いのにソバカスも目立ちました。おまけに、デカ女で私より身長が10センチ位高かったですね。でも胸が大きかったですね。自分でも容貌に自身ないのか、一緒に写真とっても絶対に送ってこなかったですね。女性というのはこういうことにこだわりますからね。

 中国人の彼女の方は、大学の研究生となってからは、私立の大学の授業料稼ぎと生活のほうで正に、生活苦。苦学そのものでした。中国人はよくこんなに大変なことできるなと思っていました。友達の家の下宿部屋に彼女専用の電話が引かれましたので、友達には内緒でコソコソができるようになりました。気付かれぬように、気付かれぬようににと。学生時代からの付き合いですから、へそが曲がっていてこっちがだんだん盛り上がってくると邪魔してくる性格だと分ってましたから。フランス人の女の時もそうでしたし。

 私の町に遊びにおいでと誘っても、バイトが忙しくてなかなか来れず、じゃーこっちからと、彼女のバイト先のレストランに出かけていって飯をムシャムシャ。お土産に彼女の好きなワインを差し出すと、緊張して彼女、足までガクガクさせて。こんな女性今まで見たことない。日本人の女と違うんだなー、いや、彼女ってこりゃ、私にとっては特殊だったのかもしれません。続く
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by araeshuzo | 2006-08-21 17:16