私は、全ての公務員教師や役人を批判しているのではありません。中には立派な方もおられます。そういう人とは気が合って、校長室で3時間教育談義に花を咲かせたこともあります。尊敬する先生です。私学や私塾にも胡散臭いのがいます。成績上げるのばかり、強調して人間育てることを忘れたら、親や教師も終わりでしょう。

 安倍首相は辞任し、(かわいそうな宰相だったと思います。)福田新内閣が誕生しましたが、社会保険庁始め、公務員や腐敗した政治家の厳しい粛清がとにかく必要でしょう。
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by araeshuzo | 2007-09-26 16:42

 すると、まず、司会者をやっている私が知っている先生が、「うわー!いきなりでっかい問題が提議されたよ!」

 アメリカ人の先生達からは、「受験の為だけに勉強するなんて、視野が狭すぎます。未知なるものを求めて行くことが、どんなに楽しく、子どもを飛躍させ、子どもの成長を促すか、そこに教育者は努力するべきです。」

 私は成る程と思いましたが、学会に来ないような先生、父兄にとっては、「宇宙人の言葉」ではなかったかと思い、次の質問をしてみました。

 多くの高校、特に進学校では、すべての教育が受験をターゲットにカリキュラムも教育内容もつくられ、兎に角、試験問題に合わせ合わせの合わせ主義と何人名門大学に合格者を出したかの成果主義。その中で、生徒は役に立たないどうでもいいガラクタ知識を詰め込まれ、苦しめられる。そして、社会にでてからNOVAに騙される。これは、文部科学省が意図しているものではないはず。なのに何故学校では上記のようになってしまうか?

 それは、ほとんどの大学にオーラル・コミュニケーションの試験がない。だから、OCの時間がセンター試験のための文法の勉強時間となり、それがまたひどくくだらない。アメリカ人教師に見せたら、「この問題の作成者は、英語そのものが分かってない。」というありえない問題に対し、生徒に正解を求めるものでありました。それも、出題者が単数と複数まで間違えて。

 兎に角、学校も塾も予備校も、70%は役に立たない問題集のワールドに入り込み、国際化に対応した気になっているのでしょう。

 大学の先生に「これは受験体制打破と言いながら、大学がくだらん入学試験問題を作っているのが元凶でしょう。」と質問してみました。

 そうしましたら、「待ってください!少しづつですが、変わってきてます。推薦試験やAO入試は増えてます。」との解答でした。

 今日、早稲田大学の国際教養学部のAO試験の対策指導やったところですけど、確かにあの試験のやり方は面白い。センター試験のように、丸付けするのでなく、英文を読んで、英文で論述して答えるよなやり方です。それと、本人の考え意欲を重んじる。面接も英語によるもの。表現力を試す。これは実践力にも繋がり、無駄にならない。こういうやり方が切に望まれます。

 しかし、高校の教育現場では、勉強しなくなるからと対応を無視。推薦試験も受けさせない高校もあります。経験を重んじるAO入試に対応した指導をやっている学校は中か下の学校。

 エリートになりそうな生徒がいる、地方の名門校と呼ばれている学校が、大変残念です。

 アメリカのボランティア教育に戻りますが、型にはめてしか人を選べない日本型官僚制的試験から、果たして日本は脱却でき、新しい時代に対応できるのでしょうか?
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by araeshuzo | 2007-09-17 02:40

 私は、日本国際理解教育学会という学会に十数年在籍しています。

 十数年前の学会で、某大学の先生が、「受験体制の打破!」ということを仰ってられました。その時、私は「なんと非現実的なことを」と思いました。受験が無くなったら誰も勉強しなくなるでしょう。

 でも、この学会では小学から大学までの国際理解のカリキュラム作り研究に熱心です。確かに、受験体制がある限り、この学会の先生達がどんなに理想的なカリキュラムを考案しても、ほとんどの学校では通用しないでしょう。一部の私立の国際教育に熱心な先生だけが実行していると、私は推察します。田舎の伝統ある進学校では見向きもしないでしょう。実際そういうところで、英語の教師をしている私の友人が、「俺はお前みたいなこと、やってられないんだ。補習、補習で忙しくて!」と言ってます。

 数年前、大学の先生、高校の先生、アメリカ人の先生が合同に会してられるこの学会の席上で、「皆さん、理想的な教育法を論じておられるが、父兄や生徒が、兎に角、いい大学に入れる教育をと望んだら、どうなされますか?とどのつまり、大学入試が変わらなければ、こんな教育方法論じたって無駄ではないですか?」と質問してみました。

 すると、
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by araeshuzo | 2007-09-13 20:01

 話をアメリカ人のボランティア教育に戻しましょう。

 アメリカの教育は経験主義的です。だのに教科書はどの科目も5センチの厚さだそうです。今年の留学生に「日本の教科書はどうして薄いの?」と聞かれて驚きました。日本の教科書の高校数1は7mm位です。アメリカ人の教師に尋ねたら、「いろいろ入っているからね。」という返事でした。それでいて、アメリカの高校の数学は日本の中学レベルです。兎に角ゆっくり進むそうです。

 私が類推するに、教科書そのものが先ず経験主義的にできているのでしょう。アメリカだって限られた時間割の中で、そんな分厚い教科書をゆっくりとやって終わりにするなんて不可能です。教科書のほとんどのページがおもしろい参考資料なのだと思います。面白くなったら、今度は自分で勉強しなさい、という自学自習に期待がかかっているのだと思います。私のところで働いているアメリカ人教師のやりかたもそうですから。学校外・自宅での自主学習、それも自分で工夫して進めて行く。高度なものを自分で求めたくなったら、家庭教師を雇う。日本と逆です。できないから、塾に行くのでなく、もっとやりたいから学校外の勉強にチャレンジするというシステムだと思います。

 ボランティアも生徒の学習意欲を駆り立てる、経験の場なのでしょう。社会経験を自由にさせて、何故その勉強が必要なのかを、考えさせる。考えて面白くなったら自分でやりなさい。教科書は分厚いからお好きなだけどうぞと。先日15歳のアメリカの黒人の女の子がアイビーリーグの一つであるペンシルベニア大学に飛び級で入ったそうです。数学は抜群、その他の科目にも意欲を燃やしているそうです。

 日本以外の国、特にユーラシアからアメリカに到る遊牧民族の文化を基本にした外国は、強い自我が生きていくのに必要です。いつ異民族に侵入され逃げていっても一人で生きていけるように幼児でさえ自己主張するように育てられます。名づけて「ギャ-ギャ-民族」。モンゴル人だってそうです。日本人のように協調性を重視するあまり、自己を抑えることはせず、意地をはったが勝ちの国です。つまりあくまで「個」なのです。

 従って、受ける教育も、モンゴルでさえディベート教育、ギャ-ギャ-教育。高校でも自分で調べて発表するという日本がゆとり教育として「生きる力」として失敗した教育なのです。

 何故日本でゆとり教育・経験主義てき教育が失敗したか?これは環境を整えないでやったからでしょう。表面的なアメリカ流の教育を導入し、詰め込み教育しか受けなかった教師が右往左往し、学校の外に出て地域の住民や社会教育団体との連携もなにも作らず、閉鎖的な学校の中でお役所的形式的中途半端なことをやったのが最大の原因だと思います。

 それと、自由な時間は相変わらず与えなかったという物凄い矛盾を平気で温存したままでした。子どもたちは部活で土日も暇がない。考える時間もない。部活のやりすぎは長い間批判の対象にもなってきましたが、「それは、公教育への介入だ。」として民間の教育機関・NHKの報道を無視してきました。部活中心の公教育は公務員として事なかれ主義を貫く為の絶対不可侵の方策なのでしょう。

 ある意味、これは子どもにとって”奴隷制”です。「部活をやらないと高校入試がふりになるぞ!」とまったくの嘘デタラメを流布し、非行防止にもなると脅して、自分に都合のいい管理教育を助長してきました。

 安倍内閣が次の教育政策を打ち出しても、また壊して自分の権益を守り通そうとするでしょうね。

 いっそのこと、郵政民営化と同じく、教育をすべて幼稚園保育園から大学まで、独立行政法人か私学にしたほうが信頼のある、子どもにとって幸せな教育環境ができるのではないでしょうか?

 次は大学入試のあり方です・
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by araeshuzo | 2007-09-10 04:17

 簡単に明治時代からの教育の歴史を振り返りますと、先ず小学校令が出されて、教育の普及が明治の終わりには、男子で90%にまで進みます。これは、お見事!地主が教育の普及の為土地を寄進するという、社会の発展のことを考えての徳があったからでもありましょう。

 江戸時代の身分制が取り除かれ、誰でも、頭がよければ、試験に受かって官僚になれば、金持ちになれれば、出世できるという欲望の扉がどっと開きます。試験でいい成績ととるための詰め込み教育に(儒教国のせいか、あるいは途上国現象か、アジアの国はこうなりがち)当時の子どもは必死に耐えます。小学生で前の晩宿題の暗記のため遅くまで勉強しすぎて、授業中ぶっ倒れるという事件が全国で起きました。試験のために勉強するという日本人の子どもの原型がこの頃作られたのかもしれません。

 しかし、当時の真面目なある文部官僚は、この教育システムに疑問を感じだします。暗記が出来たら、丸、という、なんの思考も自由も学ぶ喜びも感じることがないのでは、貧しさも手伝って学校に来る生徒が減少し出したのです。

 そこで文部省は、改革に乗り出します。だが、不徹底・未完の状態で終わります。

 当時の文部官僚の中には、官僚機構の枠組みのなかでは、思うような教育はできぬと、自由な私学を始めるものもおりました。

 また、校歌に「学の独立」を謳っている早稲田大学や「独立自尊」が教育の中心核である慶応義塾などの自由主義的な教育を重んずる私立の名門校も台頭し、世に優秀な人材を輩出しました。

 こうしてみてみると、詰め込み教育・つまりは系列主義的に短期間で知識を習得させ、産業国家として兎に角離陸するための技術者や実業人・役人を即席に養成するながれと、経験主義的にゆっくりと(今のゆとり教育・成功してませんけど)自由な環境のなかで、創立者の信念に基づく私学の流れが、終戦時まであったと概略的に申せましょう。

 そして、終戦後は、経験主義的な教育で公教育も始まるのですが、(これはGHQの影響でしょう)、ソ連が人工衛星のスプートニクスの打ち上げ成功を聞いた瞬間から、あせって技術者の即席養成のため、また系列主義(詰め込み)に戻ります。そして戦後の復興から高度経済成長により、教育の量的拡大(つまりは大卒が大量生産される)が進みました。

 これは、結構なことなのですが、進学熱の過剰という異常な事態を生み出し、現在のゆとり教育に到るわけです。ですが、失敗。この元凶は公教育の無能さと傲慢さ・お役所的ご都合主義によるものでしょう。
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by araeshuzo | 2007-09-09 04:40

 もう10年以上前になりますかね。民間の教育者の会議の席上で筑波学園研究都市の生涯学習研究所の所長の教育学者の先生が、こういうこといってました。

  「学校は簡単には変わらないのです。ですから、民間教育の先生方、塾の先生方、頑張ってください。皆さんは、どういう教育方法をとろうと自由です。いくらでも儲けて下さい。その代わり、所得保証はありませんよ。自分で責任とらなくてはなりません。」

 この先生、戦前は樺太の小学校の先生でした。やがて、優秀なので旧文部省の官僚へと出世しました。同省退官後、筑波に行ったのですが、傍ら、学校や塾で「教え方」を先生達に指導してました。教育書の執筆もやってました。当時、70歳を過ぎてましたが、ご自身の仰るとおり「老骨に鞭打って」の活躍だったと思います。熱血漢で人格もよく、私が尊敬する教育者の一人ですが、最近「学校は簡単には変わらない。」という言葉がよく分かってきたような気がします。どんなに臨教審・中教審・教育再生会議が頑張って、改革しようとしても、先生が公務員という親方日の丸の身分=役人である限り、変わらないでしょう。社会保険庁と同じことを延々とやるでしょう。

 最初、この筑波の老学者の言うことに、とんでもないことを言うと、私自身、狼狽しましたが、長いこと文部省で働いてきたことへの、この先生なりの結論であるのだと理解しだしました。

 
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by araeshuzo | 2007-09-08 21:40

 以前、スタンフォード大学・フーバー研究所の日本人教授の言葉を引用しましたが、「学問の美学」どころではありません。マークシート式の問題に答える為の訓練ばかり、生徒にいわせると、「教えるということが、ありません。予習させてきて、答え合わせするだけ。」

 こんなイカサマ教育、よく親も子も黙っていられるものです。進学率がよければそれでいいのでしょうね。1万円札のお爺さんの言うところの「実学」世に出て役に立つ教育なんて、どこえやら。文部科学省は英語教育の転換してオーラルコミュニケーションを高校に導入しましたが、未履修問題がここにもあることをマスコミも誰も指摘しないし、関心もないようです。OCと読んでいますが、実は文法問題の訓練時間で、それも読解や英語力の基本が分かり自学自習そして英語運用力に繋がるような文法ならまだしも、私が見ても嫌になる、どうでもいい、何にもならない大学入試の過去問の詰め込み。

 この間、メルマガでこんな広告がありました。{英語の勉強、止めてよかった。話すってこんなに楽しいだなー}英語教材の売り込みキャッチ・フレーズもいよいよココまで来たかと思いました。

 児童英語も盛んに行われるようになりましたが、せっかくやっても、進学校で思い切りぶっ壊しにされることにご注意ください。そうならないためには、教育の「一身独立」が大切でしょう。

 1万円札の爺さんは「国に頼らずして、国を支える。」と言いましたが、「公教育に頼らずして、新社会を建設する知恵・能力を養う。」教育独立の精神を親も子も考えないと本当に日本や世界の未来が危うくなるでしょう。

 
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by araeshuzo | 2007-09-04 17:32

 3日目は午前中だけのプログラムでした。

 8時から9時は小学生から大学生まで全員で、正雄君と海ちゃんのスピーチを聞きました。
今やってる「オドちゃんを救え!」の募金活動についてのお話でした。やってることが、しっかりしていると、話っぷりも違ってくるのですね。「中学3年生と思えないくらい。」と高校生もびっくりしていました。

 10万円をポンと入れてくれる人もいれば、嫌な顔をする人も20%いるそうです。60%はただ通り過ぎるだけ。20%の人がいくらか入れてくれるそうです。人って様々ですね。

 9時からは、小中学生は湖畔ハイキング・ボート漕ぎ、高校生大学生は国際会議でした。今年は日米だけ。ボランティア活動についての日米高校生比較が浮き彫りになりました。アメリカでは進学クラスの子でも時間を作って自主的にやるようです。学校の先生にお役所的に無理やりさせられるのではなく、学校とはまったく関係無いところで仕事を探してきたり、あるいは、自分は人を助けるのが好きだからと,自分独自のボランティアプログラムを開発したり、兎に角自主性と創造性の中で生きている感じでした。

 それに対し、日本の高校生は進学校では宿題に追われ、進学校でなければアルバイトで忙しい、これが普通です。この点をアメリカの高校生は、「私たちだって同じよ。宿題はあるし、お稽古事もアルバイトもするわ。でも、なんとかして時間を作るのよ。」

 この意識の差、なんなのでしょうね。おそらく、教育環境の違いだと思いますよ。日本では進学するのに成績さえ良ければと、親も子も思っている。センター試験の結果が総てであるかのように。それに対し、アメリカでは総てが評価の対象です。特にボランティア活動で何を学んで来たかが。海外に行ってボランティア活動すれば、単位をくれる大学もあるそうです。アメリカでは総てAO入試、それと推薦書が物を言います。

 それに対して、私の町の伝統ある進学校、かつての旧制中学では、AOや推薦だと勉強しなくなると排除し、センター試験と一般試験に向け酷い位の詰め込み教育が相変わらず続いております。
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by araeshuzo | 2007-09-02 17:27

 写真をつけて紹介できないプレゼンもあります。リンカーンのゲティスバーグでの演説の朗読をした中学生の子もいます。下の三人は、お笑いコントでプレゼンの最後を飾ってくれました。ライシーキャンプでのプレゼンの最高傑作でした。

 
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 真ん中の子が「国際交流は子どもの時から・アジアの会」の正雄君で、8月最後の1週間、海ちゃんら友達数人と桜木町駅前で募金活動をし、70数万円を集めたそうです。10月に皮膚移植のために来日するそうですが、今現在のオドちゃんは、

 
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 これらはの写真は、2007年8月25日、TBS取材班と同行した時の記録です。
私どもは、当日、当会に無償提供された、「不二家」のお菓子を持参しました。


世界に報道されない、毎日が餓死に直面しているモンゴルの子どもたちに、チョコレート菓子を海上コンテナ40FTを一個分、無料で送ってくれる人いませんか?


日本から帰国して、ウランバートルのゲル地区のさらに貧しい地区で暮らしている、オドちゃん一家です。ゲルの敷地は親戚に無料で借りています。ゲルの中に、通常は板の床で、地面との間を取って、冬の寒さ(首都の12,1月は平均マイナス26度)を防ぎます。オドちゃんのゲルは床がないのです。 土の上にビニールを敷いているだけです。

ストーブで燃やす材料は、無料でもらえる近所の「製材所フ木のくず」です。

それでも母親は必死に子どもを守っています。
一週間に1-2度、食事抜きの日があるのです。

オドちゃんの10歳の兄は、小さいころからの栄養失調で、ついに自力で歩くことが不可能になりました。モンゴルでは、「腹がいっぱいになるまで食べたい。お菓子をいっぱい食べたい」子どもが大勢です。


同じ地球に生まれて、一方では、「子どもも必死で生きている」現状と、一方では、「食べることの心配がない」日本の子は恵まれています。 


生まれた国、場所が悪かったばっかりに、この子らは苦しんでいます。
当会は、これまでの16年間、アジアの子どもの交流事業の外に、アジアの援助の必要な、罪のない子ども対象に、42回の救援活動をしてきました。

当会に寄せられた、皆様のこれまでの支援に感謝いたします。

 {写真4枚、文は国際交流は子どもの時から・アジアの会」提供です。}

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上の写真は、キャンプで募金箱を持って回って、集まったお金を正雄君に渡したT君です。14歳。ライシーのキャンプは7回目です。将来、お医者さんになりたいそうです。


現場の悩み
<< 作成日時 : 2007/08/24 11:32 >>

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(2007.8.24.)


高岡の現在の最大の悩みです。

「暑さ、寒さ、食事、」より問題なのです。
私ども、他の低開発国でNGO活動に従事している者の、「共通の悩み」と思います。

今朝は、昨日午後の「小雨、雪が降りそう」から一転して、はれてきました。
今週いっぱいかけて、私とハンダさんで、2007年10月以降の会計全部の洗い直し中です。
間違いがいっぱいです。
無理も無いことです。いままで、現地雇用者に任せていたのですから。

時間を守ることは、モンゴル人には無理です。決まりや時間を守れるのは「発展した国民」です。 モンゴルの貧しさは、「規律が守れな」ことが、外資も入れないことだと思います。

ゲルに絵本を読みにくる子どもの盗みにも困っています。
3月末に「WE21ジャパン伊勢原」の支援で購入したモンゴル絵本「チンギス・ハーン」(全18巻)、一冊こちらの値段で4,500TGSと高いのです。
ペットボトルを拾っている母親は一日1,000TGSの収入です。

現在、その絵本は数冊残っているだけです。
こどもたちが服の間に入れて持ち帰るのです。
 
事務所をわずか10-30秒空けていたため、飛び込んだ子どもが物を盗んで、
私が外まで追いかけ取り戻したこともあります。
善意の家族、大学生の姉が返しに来てくれたこともあります。
テニスのラケットも1本盗られました。

盗んだものは、売って、金に換えるそうです。だから、家族の知らないことになります。
笑顔で挨拶して、物を盗む心理が分からないですねえ。

大人も、子どもの盗みの原因は、「貧しさ」からです。 貧しさに耐えた日本人は、「盗みは恥」(恥の文化)だったのが、今、思えば感謝です。

放牧、遊牧の文化は「隣と共存しなくても、いやなら、自分は家畜を連れて、他の場所に移ればよい」ので、「恥や和の文化」をあんまり。意識しなくともよいのでしょうか?

「和」がないと、治水や農作業を共同で行わないと生きられない、農耕民族とは根本的に環境が違うのです。

母親たちも、この事務所に無断で入り、勝手に物にさわり、「これをくれ」と要求するのです。
だから、私は事務所を留守にするとき、わずか10-30秒でも施錠しています。

この悪い習慣を防ぐために、ゲルにくる子には「オアシス運動」をしています。「オアシス運動」がすべての、人間社会の基本だと思います。ゲルの天井に「こんにちは」、「ありがとう」、「ごめんなさい」、「さようなら」です。 「挨拶が基本」と思います。

学校も「3部制」(小、中、高校が同じ教室を使う)ので十分な勉強時間が取れない。
クラブ活動のスポーツで、「決められたルールで競う」の運動場が学校に少ないのです。

「一定のルールでスポーツできない。」また、帰宅しても両親がまたは母親が無職では、先進国の「子どもの道徳」と当然違ってきます。

「決められたことを守らない大人、盗みをする子どもたち」を治すのは「基本から教える」です。
当会のプログラムには、このようなことも含めています。

モンゴル人が現在の先進国並みに、豊かで楽しい生活ができるようになるには、これから、
100年以上かかりそうです。

私は、現場の人々に、ほぼ、毎日、「会計処理も書類も、第3者も理解できること。5W1Hの要素が入っていること。効率と費用を考えること。支援する側は受ける側の目線を保つこと、すなわち、お客さん本位に物事をすすめること、約束事を守ること」など、教えています。

大学卒者でも、社会の構造が違うため、日本での方法では教えてもさっぱりだめなのです。

ほとんど、効果ないですねえ。

私は、モンゴル人の「放牧、遊牧」はアフリカの「狩猟のブッシュマン」や「狩猟と採集のピグミー」と性質は同じと思います。
モンゴルは「移動生活」なので、「定着」が無いのです。
私は、「文化の進化は人々が一ヶ所に定着することから始まる」と思います。

文化(英語のCultureは耕すのcultivateから)は農業などや、商業や、工業で、人々が「都市化」から、一定の集団生活をすることから生じるでしょう。
集団生活には「決まりごと」が必要です。
「約束を守る、時間を守る、法をまもる」などです。

地平線のかなたの草原に散在した生活からは、「都市型の文化」が育ちぬくいです。その人々が首都のUBに来て、高さ2メートルの板の塀で囲まれた生活をすることで、「人のネットワーク」ができないのです。当会は以前2回開いた「地域住民のふれあい」の機会をもっとつくりたいですね。

無職の父親、または母親は、その塀のなかのゲルで、毎日、「棚からぼた餅が自分の口に落ちるのを待っている」状態です。「他人とグループを作って、今の状態を改善したい」ができないのです。

この事務所のある近所の無職の10余名の母親は、「自立する母親の会」を全員辞めました。「来年の4月まで仕事を待っていられない。明日から仕事をしたいのだ」そうです。
(現在進行中の母親自立の会は、UB全域から集まっている)

その気短(?)な母親たちは、もう、10年前後、「毎日、口を上にして、落ちてくる餅を待っている」のです。

あなたにはその母親たちを理解できますか?

私は理解に苦しむのです。


{以上の文、「国際交流は子どもの時から・アジアの会」提供}


私が入手した情報でよく聞くモンゴル人の子どものいうことは(社会の為」です。これはいったい何処から来るのか?モンゴルの今の教育か?伝統文化?社会主義の残滓か?未だに私にとって謎です。高岡さんの言ってる事と矛盾してますね。もっとも、協調性なんかない、「先ずは自分」という個人主義がユーラシアからアメリカ大陸まで共通する文化です。

 
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by araeshuzo | 2007-09-01 19:02

 さて、次は

 
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 小学生中学年の男の子たちによる丸罰ゲームです。このくらいの年でもかなり面白い問題考えて出せるものですね。自由・解放・好奇心という空間の中で、彼らの頭は冴えるのでしょう。

 
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 こちらは、小学生高学年の女の子主導によるゲームです。中高大学生まで仕切って見事なリーダーシップを発揮しました。小さくてもやらせれば、できるものですね。ゲームで優勝したチームには表彰状が送られました。何が書いてあったものやら。
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by araeshuzo | 2007-09-01 00:58