バンクーバー冬季オリンピック続いてますが、日本中・韓国中の人々をテレビに釘付けにしたのは、やはり浅田真央とキム・ヨナのフィギュア・スケートの金か銀かのメダルをかけた対決だったでしょう。

 もちろん私は真央ちゃんを応援してました。可愛いですからね、あの顔とスタイル。しかし、結果は23点も差をつけられて、真央ちゃんは銀に。マスコミは、しつこいくらい二人の演技の映像を流してましたから、私も何度も何度も二人の演技映像を見てしまいました。

 そうしているうちに、こりゃ、キム・ヨナが金メダルに輝いたのも無理ないなと思うようになりました。彼女の演技は無我の境地そのもの、天女の舞のように見えてきました。真央ちゃんもキム・ヨナも凄い緊張とプレッシャーだったでしょうね。そういう状況で無心になることは大変なことです。19歳の若い娘になかなかできない精神的修練が必要です。某新聞のその道の専門家によると、真央ちゃんは「恐怖」、キムヨナは「達観」と書いてました。真央ちゃん、途中で勝つこと考えちゃったのですね。それで銀になってしまった。

 ラフマ二ノフの「鐘」やヴェルディーの「仮面舞踏会」のような暗い重厚な音楽に合わせてというのも19歳の娘には早すぎたのかもしれません。

 でもこの二人いいライバルのようで。表彰台で抱き合ったり、カナダの選手から離れてすり寄り気味の二人を見ていると、仲のいいお友達のように見えます。この二人、言葉どうしているのですかね。キム・ヨナはカナダに長くいるため英語はネイティブなみ。コミュニケーション取れているなら、このお二人、やがて10年、20年後、「私たちは本当に感謝しあえるいいライバルだったわね。」と二人で日韓の若い選手をいっしょに育てるステキな関係になっているのではないでしょうか。

 テレビで真央ちゃんにも声援を送る韓国の人たちも見ましたが、ソウルオリンピックの頃に比べると、ずいぶんと紳士的になってきたようで。脱線終わり
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by araeshuzo | 2010-02-28 23:53

 (139)でちょっと脱線して書いたT国のPちゃんのことですが、3月下旬の春の国際キャンプ「海外支援会議」に来れるか、電話かけて確認したところ、ウツ状態になって、誰にも会いたくない、話したくない、朝ベットから起きられない状態とのこと、「キャンプ会議に参加したくても、これじゃー行けない。今回はごめんねー。」とのことでした。

 原因は、バイト先の人間関係のようです。24歳の人妻になってもバイトで学資を貯め、来月から立命館アジア・太平洋大学で勉強予定の彼女です。16歳で日本に高校交換留学で始めて来日、その後いったん帰国して自国の高校を卒業後、再来日、N女子短期大学を卒業して、日本人のおじさんと結婚し日本にはもう長いです。日本語も流暢になり、大人の話し方ができるようになりました。

 彼女曰くに、「私の国は、怠け者とマイナスイメージで見られている。ウソついたり、だましたり、売春やったりとか。でも、私は誰も頼りたくないし、日本人の中で自立して、社会のために働いて生きていきたいの。」「子供産みたくないの?」と尋ねると、「私はまず仕事。」

 通算7年日本にいても、外国人ということで孤独なようです。旦那さんも分かってくれない。誰も分かってくれない。心の持って行き場所がないようです。

 私は、「人間生きてりゃ、誰だって悩むよ。私の友人で30年前シンガポールから嫁に来て、3人子供を育てた女のひといるけど、それでも、{孤独!}って呟いて、落ち込んでいる時あるよ。お釈迦様の言うように、すべては移ろう。今の苦しみがずっと続くわけではないよ。やがて、光が見えてくるよ。」と言いました。

 外国で暮らすことって、ずいぶん大変なことのようですね。「違い」が苦悩を産むようです。脱線終わり
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by araeshuzo | 2010-02-19 19:53

 チャメと子猫の話に戻ります。子猫たち3匹(当初4匹・1匹事故で死亡)と別れの時が来ました。名残惜しいですが、チャメとチビだけで医療費・餌代ずいぶんかかりますから、猫まで飼えません。まだ子猫でかわいいうちなら、近くのペットショップでこちらが餌代(猫なら1匹3000円)を負担すれば、雑種の犬猫でも引き取ってくれました。そして、店頭の檻に入れて、欲しい人が現れれば無料であげていました。大概1週間以内で檻の中は空になります。動物愛護センターに回すことは絶対にしないというペットショップでした。ペットフードの売上増収にも繋がりますから、動物愛護と一石二鳥だったのでしょう。

 ここには、猫以前、生徒が児童公園で拾ってきた子犬(まだ目が開いてない)4匹をミルクを哺乳瓶であげて育て、ペットフードが食べられるようになってから預けたことがありました。あの子犬たちも可哀そうでした。あの時は、チャメもチビも育てませんでしたから、子犬同士乳首の代わりに陰部を吸い合っていたのです。あの光景は痛ましいものでした。続く
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by araeshuzo | 2010-02-16 19:30

 あれこれ考えてみましたが、とどのつまり、この自然学校の校長の言うように「感謝」なのですね。牛に限らず、すべての生きとし生けるものへの。人間も動物も他の命を食べなければ生きていけないのですから。他の命のお陰で生きていける、つまり生かされている、自然界のあらゆるものに。

 昔から「無益な殺生はするな。」という言葉がありますが、植物(森林資源など)でも動物でも採りすぎはいけないのでしょうね。先進国は財政赤字や不況に苦しんでいますが、無駄も厖大だど思います。コンビニやスーパーから出るゴミ、いやいや、その他のところからも。あれって、罪じゃないですかね。

 昔、国際交流の会議で「経済成長を前提にしない経済学ってありますか?」と大学の経済学者に質問をした若者がいました。そうしましたら、その先生は、「そういう経済学はこれからの若者が考えてください。」と答えました。経済効率ばかり追いかけての経済学?そろそろ限界では。自然界から学ぶ道徳というのに最近気づきました。

 再び、殺処分30万頭に戻りますが、無益な殺生もいいとこですね。ペット業者が動物虐待したり、血統書つきの犬が動物愛護センターに捨てられたり。将軍綱吉様が聞いたら、なんと言うか?江戸時代は資源を無駄にしない徹底的なリサイクル社会と動物愛護社会だったそうです。犬公方の時代は、犬専門の医者がいたり、犬の孤児院があったりしたそうです。綱吉の時代のみならず、伊勢神宮などの聖域や江戸城の生き物を殺すとお咎めがあったそうです。今の日本に動物愛護法ありますが、道徳的響きありません。「生類憐み法」にしたらどうでしょう。続く
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by araeshuzo | 2010-02-12 20:46

 命ある様々な種族。食う関係か、共生する関係か、それは相手が自分にとってどういう存在かによってきまるのでしょうね。まったく生き物はご都合主義者なのかもしれません。人間どうし、国同士のように。

 悲惨な話になりますが、人が人を食うという事態、それも母親が自分の赤ん坊を煮て食うという記録には驚きました。1942年、C国のK地方で大干ばつが起こり、300万人の人が餓死するという惨事が起こりました。木の皮まで食べて生きながらえるという状況だったそうですから。それにしても、人間、極限にまで追いつめられると我が子まで。

 競走馬で、いつもビリ。役立たずと馬主が売りに出し、あわや馬肉になりそうだった馬を、ある牧場主が引き取りました。このお馬さん、人の心を癒す才能を持っていたようで、子どもや女性にモテモテになり、牧場でヒーリング・ホースとして活躍することになりました。競走馬としては落ちこぼれでも、人になつき、頬刷りしたり、なめたり、可愛がられるのですね。

 最近、欧米やオーストラリアからの留学生に菜食主義者が多いのには驚きます。宗教上の理由、健康上の理由、いろいろありますが、私が世話したフランス人の中に、「人間の勝手で動物を殺して食べるのは気が引ける。」と言った娘がいました。それでは、植物だって命あるではないかと思いましたが。

 私の町に自然学校Nというユニークな学校があります。そこの校長に、「この牛、やがて食べられるんですね。」と言いましたら、「だから感謝して頂くのです。」と返答されました。続く
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by araeshuzo | 2010-02-11 22:10

 弱肉強食が基本に思えるこの自然界、でもどんなに強く生きても、大きく生きても、奢って生きても、食物連鎖の循環のなかでは、死に絶えたのち(この世の唯一絶対的な避けられない生きとし生けるものにとっての真実ーーー死)もっとも下等で原生的な生き物、かつ生き物のご先祖様であるバクテリアに食われるのです。つまり、分解者の世話になって土となります。そして、新しい生き物を産む土台、あるいは、資源となるとかで。

 最近、20年前に世話した教え子(T大の大学院で農業経済を専攻し、食についての研究所を設立)のお陰で土の尊さを知りました。バクテリア様さまです。「一寸の虫にも五分の魂」どころか、「目に見えない原生生物も我が母上」なのでは。何十年ぶりかで、いじった畑の土(その教え子の実験農場)の香りを懐かしく自分の今の生徒と一緒に嗅ぎました。「環境を守ることの第一歩はまず健全な土を育てること。」と分かりました。それは、ただではないことも。かなりの労苦も伴うことも。

 食う食われるの自然界で人間が動物の餌になっていた時代があったそうです。人類の進化の過程で。でも、種が違うもの同士でも共生というのもあります。海の中でも陸の上でも。アフリカのある部族では、水牛を「あれは、仲間だ。」というそうです。続く
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by araeshuzo | 2010-02-11 01:36

 肉食動物が草食動物を喰らい、草食動物は植物というまた命あるものを喰らう食物連鎖の自然界。過酷ですね、厳しいですね。北アジアのトナカイを放牧しているある遊牧民は、「自分が育てたトナカイを殺して食べる時、ものすごく悲しくなる。」と言っています。モンゴルの遊牧民は、お客さんをもてなすのに、羊一匹をつぶして、御馳走にして出すそうです。「可愛そう。」と日本人の客が言ったら、モンゴル人のオカミサンは、「そうねえー。でもしかたないでしょー。ここでは、そうなんだから。」

 他の命を喰らわないと生きていけないすべての生命。海のなかでも大きな魚が小さな魚を食べ、小さな魚は藻やプランクトンを食べる。キリスト教では、アダムとイブが禁断の実を食べなければ、こうならなかったというのでしょうか?原罪というのは、他の命を食べなければ生きていけない悲しい性をいうのでしょうか?仏教でも殺生はするなと説き、精進料理は植物だけ。インドのジャイナ教では、虫を殺すのも嫌い、農業もせず、商いを生業とする人が多いとか。続く
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by araeshuzo | 2010-02-08 19:42