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上の銅像の写真は、日光を開山した勝道上人です。
男体山に鎮座する神様は大国主命です。奈良時代、勝道上人は男体山に何度も登頂を試み失敗しました。が、ついには登頂に成功。男体山の山頂で出会ったのが、大国主の命だということです。そして、大国主の命が男体山に祀られました。勝道上人に命じることなく、頭に穴空けることなく、優しい日本の宗教ですね。それにしても、出雲の縁結びの国津神である大国主命がなぜ男体山に降臨したのか?大天使ミカエル信仰もイタリア南部で深いそうです。それなのにフランス北西部の小さな岩山に何故降臨したのでしょうか?

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日光の御神橋(ごしんきょう)です。勝道上人が川を渡れず困っていると、深沙大王が現れ、青と赤の蛇2匹を対岸に渡し、上人を渡してあげたそうです。今では、縁結びの神橋として、ここで結婚式を挙げるカップルもいます。

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出雲の縁結びの神様が突然、男体山に降臨する。なんとも、不思議な事ですね。大国主はーーーー(続きます)


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by araeshuzo | 2016-12-28 14:22 | 旅行記雑感


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モンサンミッシェル付属の教会です。一日に何度か礼拝が行われているそうです。

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教会側面にかまぼこ型の屋根、そして、


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パイプオルガン。こういった雰囲気の中で「大天使ミカエルは、昇天してきた人の魂を秤にかけ、魂の重さを量るのです。」とか、聞いているとカトリックの教えが分かって来そうな気がしてきます。閻魔大王と同じ役割もしているんだなー。生きているうちにいいことしろということか?キリスト教も仏教も通じる部分多々ありますね。所詮、人間の考えることですから。

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これは、降臨してきた大天使ミカエルが、ある僧侶(名前は忘れました)に「私をこの岩山に祀れ。」と命令している場面を表したレリーフです。僧侶が「信じられない。」と答えると、ミカエルは、僧侶の頭に穴を空けたそうです。それから、僧侶が修道院を建てたのがモンサンミッシェルの始まりです。この僧侶の穴の空いた骸骨は後の世に発見されたそうです。この点は絶対神らしいですね。命令するのですから。しかも、頭に穴まで空けて。

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こちらは、男体山。霧がかかっていて、よく見えないですが。この男体山は実はスゴイ神山で、ここに鎮座する神様はなんとーー(続く)

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by araeshuzo | 2016-12-21 08:09 | 旅行記雑感

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モンサンミッシェルの入場室にある大天使ミカエルの絵です。天使は男なのだそうです。看護婦さんを「白衣の天使」と呼んでいた時代がありました。日本には天女伝説などもあり、空から降りてくる天使というと女性と思ってしまいますよね。受胎告知の大天使ガブリエルの絵からも女性としてしか見えません。この絵、悪魔を踏んづけて(日本の仏像にも天邪鬼を踏んづけているのありますね)いますが、顔を見ると女性でしょ。

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この大理石の像も大天使ミカエル(=ミッシェル=マイケル=ミハエル)です。こちらは、男性に見えますね。剣を持ち、天国の門を守るのだそうです。天国の軍団を率いて、悪魔と戦うのだそうです。これって、竜神雷神、阿吽仁王、十二神将、四天王に似ていますね。さてさて、この大天使ミカエルですが、---(続く)

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by araeshuzo | 2016-12-20 07:46 | 旅行記雑感

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世界遺産モンサンミッシェルのゴシック様式の尖塔。尖塔の頂点にあるのは、大天使ミカエル(ミッシェル)の黄金の像です。

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大天使ミカエルが降臨して、「私を祀れ!」といい、岩山にこんな修道院が5世紀に作られました。ローマ化される前です。これがモンサンミッシェルの始まりです。
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6世紀と7世紀の頃のローマ化された後のモンサンミシェル(聖ミッシェルの山の意味)。大きくなりました。でも、尖塔はまだありません。

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10世紀から今日に至るモンサンミッシェル。城塞修道院らしくなっています。尖塔もあります。この尖塔を支えているのは、


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建物の内部にあるこの円柱室です。倉庫に使われていたこともあるそうです。


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日光東照宮の五重塔。この塔を支えているのは、一本の

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心柱です。そして、この心柱は地上から10センチ離れて、宙ぶらりんの状態です。1818年に再建されたときの構造だそうです。地震の多い日本で耐震構造を備えた建築物です。この構造、


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21世紀の東京スカイツリーと同じ構造だそうです。

日本とフランスの建築物、環境の違いが産んだものと思いますが、様式、構造が違うとはいえ、それぞれ素晴らしいものですね!

(続く)


















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by araeshuzo | 2016-12-18 07:18 | 旅行記雑感

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2016年春に行ったときの北フランス、リールの要塞です。廃墟ではありません。現在でも軍人が勤務しているそうです。したがって、中には入れません。周囲は土塁で囲まれ、市民が散歩したりジョギングしたりしています。

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ルーブル宮殿美術館。革命の反乱の兆しを感じ、ベルサイユ城の美術品や貴重なものをルーブルに移させたそうです。

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Chateaux Versailles フランスでは、ベルサイユ城と呼んでいます。庭を含めて広大です。でも、つまんなかった。建物の一部は戦争博物館になっていて、中世からナポレオン戦争まで、いかに多くの戦争に勝利してきたかを表す大きな数多くの絵画が展示されています。これについては、別の記事で詳しく書きます。

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ご存じモンサンミッシェル。島です。岩山の上に築かれた修道院、教会、そして城塞でもあります。ここは、面白かった。スゴイ。さすが世界遺産。厳島神社と姉妹都市になっているそうです。

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この城壁と建物の壁、難攻不落ですね。石垣の城壁の右にある上に伸びる細長いものは、食糧や生活必需品を修道院に運び入れるためのリフトです。

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門をくぐってすぐに置かれていた中世の大砲です。日本では見られないタイプですね。実際どんな威力があったのか?

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この周囲を海と高い城壁に囲まれた城塞修道院、イギリスとの14世紀から15世紀の百年戦争の時も落城しなかったそうです。各所に大砲が据え付けられ、壁には鉄砲を撃つための覗き穴(日本の城も全く形が同じ)があります。中世の日本の大寺院と同じく、領地を持っていたそうです。現在でも礼拝が行われています。修道士の墓もあります。

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ロワール川流域にあるアンボワーズ城。美しいですね。高貴な婦人のようです。

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アンボワーズ城がら見たロワール川。絶景です。下に見えるのは城下町。川に守られているようですが、かつてバイキングがこの川から攻め上ってきたそうです。物資を運び入れるのに便利だったそうです。

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このアンボワーズ城も岩山の上に築かれていました。城下町のすぐ隣に高い城壁と建物。周囲を堀で囲む日本の城とは防衛の発想が違うようです。日本の城の場合、城門を突破されても、それからいろいろな仕掛けをして敵を蹴散らす工夫がなされていました。そういうものは見当たりませんでした。城主とその家族、行政官、兵隊が一つの建物の中にいるコンパクトな城といった感じですね。

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アンボワーズ城は、フランソワ1世がイタリアからレオナルド・ダ・ヴィンチを招き入れた城です。当時、イタリアの方が進んでおり、様々なイタリア人の芸術家や職人が連れてこられたそうです。16世紀始め、ダ・ヴィンチは築城、土木工事をした後、亡くなりました。70歳を過ぎていました。城の近くにダ・ヴィンチの館も残されています。城の庭園にある教会に最初葬られましたが、19世紀になって、教会を取り壊したとき、ダ・ヴィンチの骨が発見され、現在は庭の片隅にある王様の小さな礼拝堂に埋葬されています。それにしても、床に埋葬するというやりかたは解せませんね。

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ロワール川支流にあるシュノンソー城です。美しいですね。

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様々な角度から楽しめます。フランソワ1世の子供アンリ2世は自分の家庭教師のディアーヌ・ド・ポワティエを愛してしまいました。カトリーヌ・ド・メディシスと結婚しますが、ずっと年上のディアーヌを愛し続けます。女同士の血みどろの戦いが起こりそうですが、二人は助け合い、お城を守ったそうです。城の西と東に二つの庭園がありますが、それぞれ二人が作ったものです。

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このシュノンソー城は、このように堀と河に守られています。こういうお城もあるのですね。

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尾張名古屋城天守閣。戦時中米軍の爆撃に遭い焼失しましたが、戦後鉄筋コンクリート製で再建されました。石垣は昔のままです。藩主の住まいや政務の場である御殿は天守閣の下に再建中。平屋です。このフランスの城との違い。

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名古屋城のお堀と石垣。日本の平城の場合、こういう深い堀がないと不安ですね。

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愛知県犬山市の犬山城・国宝です。尾張藩付家老の城でした。築城以来何度も修復され、昔のままの木造で残っています。1868年に犬山藩となり、家老だった城主は藩主になり、明治期は華族に。最近まで個人の所有物として維持されてきました。今は財団が運営しています。城の後ろ側は木曽川が流れており、今は埋め立てられてしまいましたが、城下町はぐるりとお堀で囲まれていたそうです。天守閣には、いろいろな仕掛けがあります。

日本の城は木造。耐久性ありません。天守閣だけ残っている城が多いですね。御殿とか残っている城はないでしょう。フランスの城は石材でできており、耐久性があります。それでも修復と改築でこれまで来たようです。日本の場合、江戸時代になって、一国一城になって多くの城は取り壊されました。天守閣は無用の長物となり、壊れてもそのまんま。江戸城のように火災に遭ったらもう天守閣作らず。天下泰平でしたからね。そして、明治の廃城令。どんどん消えていきました。日本の名城100とかありますが、犬山城のように、昔ながらの天守閣を保存している城は12位だそうです。ドルドーニュ県だけでも1000の城が残っており、貴族の子孫が今でも住んでいるフランス。

さてさて、フランスと日本、どっちの城が難攻不落と思いますか?(続く)

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by araeshuzo | 2016-12-14 09:00 | 旅行記雑感

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2016年11月のフランス旅行の目的の一つは、尊敬するフランス人の学者モーリス・パンゲの墓参りをすることでした。哲学者でパリ大学で教鞭を取り、1958年から68年、79年から89年日本に滞在し、東京大学教授、東京日仏学院校長を務めながら「La mort volontaire au Japon」自死の日本史という大著を表しました。太平記などの古典から切腹の意義などを解明し、深く日本の文化を理解したフランス人です。1991年62歳でフランスのボルドーで亡くなり、子供がいなかった彼は親友(ロワ)が眠るフランス南西部ドルドーニュ県のサン・アンドレ・ダラスという人口800人の小さなの墓に葬られることを望んだようです。写真の人物は、案内してくれた村役場の助役のゴティエさん。礼儀正しく、親切ないい人でした。

村の唯一の観光名所であるカバンヌ(掘っ立て小屋)と呼ばれる14世紀の村人の民家も見せてくれました。これもフランスです。ドルドーニュ県には1000の城があり、領主(貴族)の子孫が今でも城に住んでいるそうです。山城で、これでは容易く攻め落とせないですね。これもフランスです。このカバンヌの集落は私有地でおばあさんが一人で管理しています。訪れた日は閉館日でしたが、私を無料で中に入れてくれて、案内してくれました。

物騒な都市部とは違い、のどかで気持ちの良い田舎です。人々も親切で安心します。11月1日はちょうどフランスはお盆のような墓参りの時期で、墓地にはたくさんの花が供えられきれいでした。私もパンゲの墓前に花束を手向け、偉大な書物を残してくれたことと深い日本理解に感謝し、自分も彼にあやかれるよう仏教式に祈りました。(続く)

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by araeshuzo | 2016-12-11 06:27 | 旅行記雑感